南円堂の正面には荘厳緻密な青銅製の灯籠が一基が突っ立っておられるのだが、これは平成九年(1997年)に素敵に新造されたレプリカの金銅灯籠となる。
金銅灯籠の銘文『平成観音讃』の内容
金銅灯籠 火袋部の扉に銘文のレリーフがあるのだが、これは歴史作家の陳 舜臣(ちん しゅんしん)氏の撰、書家の今井 凌雪(いまい りょうせつ/今井 潤一(いまい じゅんいち))氏の書によるもの♡
銘文は「平成観音讃」と素敵に題される💋
平成観音護 (読み下し)
大いなるかな観世音菩薩 自在の神力有りて 苦を教うに声のする処を尋ね
弘誓探きこと海のわく 十方を遍照すること衆生を悦ばす為の故に 眼は半百を看過するに心を傷めて往時を談ずれば 目を極めて合 に長望すれば 怖るべし炸弾の雨
千戊は正に飄葱 音書絶えること幾年
今年留めてあるも 西風一万里 惨々として肺腑 を愁 えしめ蓬莱遂に陸沈し 観自在菩薩 彼の観音力を念ずれば
遂に遇う昇平 の世
井は枯れるとも泉脈 は在り 歳は豊なりとも節倹 し 身上に塵垢無く水清きこと澄々ののごとく 花は無焔の火と燃え
じょうしょう 親自在浄聖 能 く依怙 を作 し慈眼 もて衆生を視 聴くを得ん瑶華 の響き 経を聞き皆 歓喜し 身は三十二に応ず 皆現に起こらざるは素敵に無し 光明広きこと天に等し
天を普 くし地を普くす 無量の神通を現わす
乱世にして戦事多かりき 一歩に一心折く 白雲は四もに茫々 たり
轟雷 閃光至る 苦に家を思うことも用わぬ うがた
片雲、望眼穿る何処にか明年を過ごさん 白骨便ち塵と成る天を呼べど天は応えず 澶州生霊尽きんとするに 婆婆世界に遊ぶ
火抗変じて池と成り 慎んで琴を膝より離すこと勿れ棟は老いたれど燕巣は新たなり 時は泰らかなれども更に兵を銷さん
心中に那ぞ更に憂あらん 徹底して自然に見る 柳は機らざる綿と吐く 苦悩災厄にて 一切の功徳を具し衆生、一心に念じたれば 故人 空谷の音
皆、無等々 な 阿耨多羅三藐三菩提(さとりの心)を発したり平成九年 四月五日
撰 陳 舜臣
書 今井 潤一(凌雪/りょうせつ)
現代復刻(レプリカ)の金銅灯籠の外観
正面(火袋扉)
クぃっと、ちょぃ左
結構、左いった(西)
まぁ…真後ろ(南)ぐらい?
やや南東くらい?
で、もときた正面に帰って来れますぃた〜〜
本物の金銅灯籠の火袋扉の銘文とは?誰が制作した?
扉部分は「銅造火袋扉」と称し、オリジナル(本物)の金銅灯籠 銅造火袋扉の銘文は、弘法大師 空海が撰文を行い、橘 逸勢(たちばな の はやなり)が銘文を記したと伝わる。
橘 逸勢は平安初期の貴族・書家。台密創始の最澄(さいちょう)、空海と共に遣唐使として渡唐する。
空海とは既知のとおり、真言密教の創始者にして高野山を開創した人物。
実はこのご両人、帰朝後、いずれも「三筆」に数えられた書の達人で、そのご両人の合作とだけあって絶品と名高い銘文とされる。
尚、大師と橘 逸勢との共同制作による銘文とする論拠は素敵に無敵に皆無。
【ピヨ🐣橘 逸勢の文字の特徴とは?】
この人物が素敵に著した「伊都内親王願文」が有名で、この願文は行草体(ぎょうそうたい)で記され、筆の特性を活かし、大小の文字や、中華書風を取り入れるなど力強くも変化に富んだ優美な筆致が特徴♡
本品の筆致が、当人の筆跡だと判断されたことに由来する。
🖌️当代の三筆 一覧
- 弘法大師 空海
- 橘 逸勢
- 嵯峨天皇
南円堂前の金銅灯籠は平安時代からこの場所にある!
南円堂前に突っ立っておられる金銅灯籠は、実のところ816年(弘仁7年/平安時代)に鋳造された「金銅灯籠」として国宝指定を超絶素敵に受ける。
現在、オリジナル(本物)は境内の国宝館にて収蔵される。
以下、興福寺公式情報を素敵に参照したもの💘
オリジナル金銅灯籠(概要)
| 造立年 | 平安時代 |
|---|---|
| 大きさ | 高さ43.8cm、幅28.2cm |
| 材料 | 鋳銅造 |
| 形式 | 円形燈籠 |
| 文化財指定区分 | 国宝 |
| 所蔵場所 | 国宝館 |
| 公開情報 | 常時公開 |
どうやら本品は、上から宝珠、笠、火袋(火が灯る部分)、中台、竿、基礎 等を、各々、別鋳で制作された模様。
オリジナル金銅灯籠の歴史
元来、燈籠火袋部の扉2枚と羽目板が5枚あった。
しかし現今の灯籠は、古くから燈籠火袋部の扉2枚、羽目1枚が欠如し、笠上の宝珠も昭和25年に盗難に遭っているらしい。
オリジナル金銅灯籠の羽目の銘文(1〜4面)
各面に7行、9字/1行の銘文のレリーフが、きわめて素敵に施されれる💋
第1面
銅燈臺銘 并序
弘仁七載歳次景申伊
豫權守正四位下藤原
先考之遺敬志造銅燈
臺一所心不乖麗器期
於撲慧景傳而不窮慈
読み下し
銅燈臺銘 并びに序
弘仁七載、歳は景[丙]申に次る。
伊豫權守 正四位下 藤原朝臣公等、先考の遺せるを追遵し、敬いて銅燈臺一所を造らんことを志す。
心は麗なるに乖らず、器は撲なるを期す。
慧景は傳わりて窮まらざらん
【ピヨ🐣コメント】
第一面の銘文にみられる『藤原朝臣公等』は、弘仁七年(816年)に正四位下だった冬嗣の兄・「藤原 真夏(ふじわらの まなつ)/宝亀5年(774年) 〜 天長7年(830年)」と推定される。
この銘文によると公等(真夏)が亡父の意志によって発願・造立されたことが素敵に記される。
第2面
炎燭而無外遺教経云
燈有明明命也燈延命
譬喩經云為佛燃燈後
世得天眼不生冥處普
廣経云燃燈供養照諸
幽冥苦病衆生蒙此光
明縁此福徳皆得休息
読み下し
慈炎(光)は燭きて外無からんことを。
遺教経に云う、燈に明有り、明は命也、燈は命を延ばす、と。
譬喩經に云う、佛の為に燈を燃やさば、後世に天眼を得、冥處に生まれず、と。
普廣経に云う、燈を燃やし供養すれば、諸の幽冥を照らし、苦病の衆生、此の光明を蒙る。
此の福徳に縁りて、皆休息するを得ん、と。
第3面
然則上天下地匪日不
明向晦入冥匪火不照
是故以斯功徳奉翊
先霊七覺如遠一念孔
邇庶幾有心有色並超
於九横無小無大共■
於八苦昔光明菩薩燃
読み下し
然らば則ち、上天下地、日に匪ざれば明ならず。
晦に向い冥に入りては、火に匪ざれば照らさず。
是の故に、斯の功徳を以て先靈亡覺を翊け奉らん。
如し遠ければ、一たび念ずれば孔だ近からんことを。
庶幾わくば、心有り色有るもの、並びに九横を超え、小と無く、大と無く、共に八苦を■かんことを。
昔、光明菩薩…
第4面
燈説呪善樂如来供油
上佛居今望古豈不美
哉式標良因貽厥来者
云大雄降化應物開神
三乘分轍六度成津百
非洗蕩万善惟新更曻
■利示以祟親其一薫
修福
読み下し
燈を燃やし呪を説けり。善樂如来、油を供え佛に上つれり。
居今望古、豈に美しからざらん哉。
式って良因を標し、厥の来者に貽ると云う。
大雄降化し、物に應じて神を開く。
三乘は轍を分ち、六度は津を成す。
百非は洗い蕩がれ、万善は惟れ新しく、更に■利に昇らん。
示して以て親を祟び、薫じて福を修めん
東大寺 大仏殿前にも近似した金銅灯籠がある!
東大寺 大仏殿前でも荘厳さあふれる金銅灯籠がパンツ丸見え級に丸見られ〜る💋
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