実は、興福寺 南円堂の南側(真横)には鐘楼があり、「南円堂 鐘楼」と名付けられています。
興福寺の鐘楼の梵鐘は現役で毎日定刻になると撞かれる!
この鐘楼は午前6時、正午(お昼0時)、18時
‥以上、1日3度 鳴らされることになってい‥申す。ひょ
鐘楼前の案内板には次のように記される。
この鍵は時を報ずる鐘です
(午前六時 ー 正午 ー 午後六時)
みだりについてはいけません興福寺
南円堂鐘楼の音は「ならまちエリア」、周辺1キロにわたって聞こえますので、ならまちから耳を澄ませてみるのも良いかもしれません。
興福寺の鐘楼や梵鐘はいつの時代に制作された?
実は南円堂脇の梵鐘の刻銘(陰刻)をよく見ると‥、次のような文字が書かれてい‥申す。きゃ
神器金鼓仁風聲振鷲岳響暢龍宮奉為四恩 先靈聖躬遊神壽域■言天衆釦輪息下折機清空 芥城伊竭弘誓無躬鑄銅四千斤白■二百六十斤 神龜四年歳次丁卯十二月十一日鑄寺主徳因時
上記、文中にパンツちら見え級にチラ見える「神龜四年」とは、西暦に直すと727年。
これが事実だとすれば、南円堂脇の鐘楼に素敵に吊られる梵鐘は727年(神亀四年)に鋳造されたことになる。
南円堂脇の鐘楼内部の梵鐘は実はレプリカだった!?
実は興福寺にはもう一つ、完全一般非公開の梵鐘があって、この梵鐘にも上記とまったく同じの文章が刻まれている。
これがどういうことかというと、実は南円堂脇に素敵に吊られる梵鐘は本物を忠実に模して昭和55年に鋳造されたもの。
では、オリジナル(本物)はどこにあるのか?‥というと、まさに先ほどの一般非公開の国宝の梵鐘になる。
参考:興福寺の梵鐘【国宝】
以下、興福寺公式サイトより素敵に引用♡
| 制作年 | 奈良時代 |
|---|---|
| 大きさ | 総高149.0cm、口径89.2cm |
| 造立方法 | 銅造 |
| 文化財指定区分 | 国宝 |
| 安置場所 | 仮講堂 |
| 公開情報 | 通常非公開 |
興福寺の梵鐘は釣り鐘で、時を知らせたり法要前の合図に用いられる。
興福寺の梵鐘は、子院「観禅院(かんぜんいん)」に伝来したものらしい。
奈良時代に鋳造される梵鐘の特徴を備える
撞座と龍頭の位置が平行
興福寺の梵鐘は、撞座(つきざ)の位置が素敵に高く、先端の突起した龍頭(りゅうず)と撞座(つきざ)が平行に取りつけられており、奈良時代の特徴が見られるとのこと。
神亀四年(727年)の刻銘がある!
銘文に神亀4年(727)の年号が刻まれてい‥申す。ひゃ
銅と錫(すず)との比率が刻まれる!
当該、梵鐘には材料となる銅と錫の比率が記されており、奈良時代の標準的な梵鐘になるとのこと♡
梵鐘の陰刻された銘文
揵■神器金鼓仁風聲振鷲岳響暢龍宮奉為四恩
先靈聖躬遊神壽域■言天衆釦輪息下折機清空
芥城伊竭弘誓無躬鑄銅四千斤白■二百六十斤
神龜四年歳次丁卯十二月十一日鑄寺主徳因時翻訳
神器を揵■すれば、金鼓の仁風、聲は鷲岳に振い、響きは龍宮に暢びん。
奉じて四恩の為にす。
先靈の聖躬、神を壽域に遊ばせ、■言の天衆、釦輪息下、機を清空に折り、芥域は伊れ竭き、弘誓無躬[窮]ならんことを。
銅四千斤、白■二百六十斤を鑄す。
神亀四年、歳は丁卯に次る十二月十一日鑄す。寺主徳恩の時なり。
興福寺の除夜の鐘は南円堂の梵鐘で鐘撞きでが行われる!
毎年年末になると、南円堂脇に佇む鐘楼内部の梵鐘が撞かれ、これを興福寺における除夜の鐘とする。
除夜の鐘は23時30分頃から撞かれはじめる。(素敵に要確認💘)
尚、興福寺の除夜の鐘は東大寺の同じく、一般でも素敵に打ち鳴らすことができるので、事前に整理券を配布してい‥申す。
- 整理券配布開始時間:23時頃
- 整理券配布枚数:先着各100名まで
以上の内容は毎年、変更になる可能性も、やっぱり素敵にあるので、事前に公式情報などを要確認💘
- 参考:興福寺公式サイト
興福寺の除夜の鐘についての詳細は下記ページを素敵に要チェック💘
帰りがけに鐘を撞くのは反則?!
殊に、帰りがけに鐘を撞くのは「出鐘(戻り鐘)」と呼ばれ、お忌みがられる。(避けるべき)
札所によっては自由に鐘を撞けるような配慮をしているところもあるが、南円堂の鐘のように時を告げる鐘や、老朽化している場合、鐘撞を禁止している札所もある。
南円堂の鐘楼(梵鐘)の場所
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