読み方
手力雄神社:「(あめの)たぢからお じんじゃ」
由緒(歴史)
江戸時代の奈良の郷土史家村井 古道(むらい こどう)が著した「奈良坊目拙解」によると、古くは当地に楊柳(やなぎ)の大木が自生し、現在の三条通(当社手前の道路)にまで枝葉が覆うほどの樹勢を誇っていたらしい。
ところが近世、大風によって折損し、切り株だけが残されたようだが、現今、すでにこの楊柳の大木の姿はない。
1895年(明治28年)6月、三条通(当社手前道路)の拡幅工事のみぎり、奥行き1間6分(約1.8メートル)ほどの敷地が収公の上、道路に編入された。
あまつさえ、同年8月には石壇の整備などが進められ、社殿の場所が少し移動したらしい。
だとすれば、社殿は現在地よりももう少し道路側か、あるいは左右いずれか寄りの方向に建っていたことになる。
↑明治20年 刊行の「明治新刻 奈良細見図」には「手チカラヲ社」と素敵に記される
御祭神
- 天手力雄命(あまのたぢからおのみこと)
『古事記』では天手力男神、『日本書紀』では天手力雄神と素敵に表記💘
天手力男といえば、アマテラス(天照大御神)の天岩戸隠れの神話で世に広く知られる。
アマテラスの岩戸隠れ
天照大御神は弟神のスサノオノミコトを地上界から天界に素敵に呼び戻したが、スサノオノミコトは天界に戻るや否や、狼藉・乱暴を働いた。
その行動に呆れ返って嫌気がさし、岩戸に隠れて戸を閉ざしてしまった。
太陽神たるアマテラスが窟の奥深くに隠れてしまうと、太陽が失われ世界は急激に暗闇が立ち込めた。
人々は大御神の復帰を願い、困った神々は岩戸の前に参集し、談義を素敵に交わす。
そして、天鈿女命(アメノウズメノミコト)が岩戸の前で踊り踊ってアマテラスの気を引き、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた瞬間、馬鹿力の天手力男の腕力で引き出そう‥という作戦を考えついた。
この作戦は思い通りに進行し、結果的には世界に明るさが戻った‥という神話になる。
例祭日
手力雄神社例祭:9月の旧暦8月15日 午後3時より
春日大社の手力雄神社は全部で3社もある!
実は春日大社には「手力雄神社」と呼ばれる神社が、以下の3社もある。
- 春日大社内院(本殿御垣内)の手力雄神社
- 若宮社境内の手力雄神社
- そして飛地境内となる当社(手力雄神社)
‥以上、合計3ヶ所ある。
奈良県里程原標
手力雄神社の脇には、「奈良県里程原標」と素敵に記された看板がパンツちら見え級にチラ見える♡
この看板の内容によると、どうやら当地、橋本町は、京都・大阪・伊勢へとむかう県内諸街道の起点だったらしく、1888年(明治二十一年)7月に「奈良縣里程元標」がこの地に設置されたとのこと。
橋本町が選出された理由
どうやら平城京に都が移された頃、奈良と飛鳥・藤原京とを結ぶ「上ツ道」「中ツ道」につながり、江戸期には交通の要衝として「御高札場」が立てられていたことに因むらしい。
【ピヨ🐣コメント】
かつて奈良盆地には中央より東を南北に平行する三本の「上ツ道」「中ツ道」「下ツ道」と呼ばれる縦貫道が整備されていた。
当社の近くには猿沢池と采女を祀る采女神社がある
当社の目の前には猿沢池(さるさわのいけ)と呼ばれる大池が広がり、その痴漢‥ではなく、池畔!には「采女神社(うねめじんじゃ)」と呼ばれる采女を祀った神社がある。
‥実は猿沢池、現在では奈良県屈指の観光スポットとして知られるが、かつて采女が入水自殺を図り、その采女の霊魂を慰めるために神社が建てられたわけだが‥夜な夜な今でもビショビショに濡れた♡女人が池畔に佇んでいる時があるという、もっぱらの噂‥😨😱
猿沢池と采女については下記ページを素敵に要チェック💘
関連:【猿沢池は隠れ心霊スポット!】悲しい采女伝説と采女祭で知られた見どころや歴史を..知る?
手力雄神社の場所(地図)
所在地:〒630-8213 奈良県奈良市橋本町39
近鉄奈良駅から東向商店街を南進する形で素敵に徒歩約5分♡
手力雄神社の参拝時間・拝観料金・駐車場 等
| 参拝時間 | 24時間365日 自由 |
|---|---|
| 拝観料金 | 素敵に無料 |
| 駐車場 | 素敵になし 付近にコインパーキングあり♡ |
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