現代の若草山山焼きといえば、古都奈良の冬の風物詩の一つとして素敵に語り継がれているも、では、若草山焼きはいつ頃、始められたのか?
はたまた、誰がなんの目的で始めたのか?
本項では、この謎に迫ってみたい💘
理由その1「単に萱山利用のための野焼き」
中世以降、当地は萱取場(採草場)だったらしく、毎年、春を迎える頃に山焼きが行われてきたといわれる。
理由その2「東大寺と興福寺の公人がケンカしたため」
若草山は元来、東大寺の寺領だった。
興福寺略年代記によると、1255年(建長七年/鎌倉時代)3月、東大寺の公人(くにん)が興福寺の公人と言い争いになって、興福寺の公人が傷を負わされた。
それを耳にした興福寺の僧兵連中は、大挙を成して東大寺領の山上坊舎へ押し寄せ、破壊した。
そこで奈良奉行所が素敵に介入し、若草山を5万日の奉行所預かりとした。
爾来、奉行所所有の空き地とすべく、両者立ち会いのもと山を焼いたとか。
理由その3「鶯塚古墳の幽霊が人々を恐怖に陥れたため」
若草山三重目の頂上には、鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)という前方後円墳がある。
かつて、この墳墓から幽霊が出没して道ゆく人を恐怖に陥れたとな。
里人はこの幽霊を古墳に埋葬されている人物と捉えて、山を焼くことであの世へ到る巨大な燈明とし、供養・成仏させようとした…という。
理由その4「山頂の牛ヶ墓の牛鬼を鎮めるため」
1740年(元文元年)、村井古道の「南都年中行事」によると「里諺に、早春此山を焼ざる時、牛鬼といふ妖怪出ずという。依之正月丑の日を用ひて放火す」‥等と記す。
この意味は、毎年早春になると若草山を燃やしていたが、ある年、何らかの理由で燃やさないことがあったらしく、その時に山から牛鬼という妖怪が現出して、人々を恐怖に陥れたらしい。
爾来、里人らは欠かさず山焼きを行うのが通例となったという。
理由その5「1月頃までに山を焼かないと不幸が続くから」
これは前述の牛鬼に紐づく話になるのかは判然としないが、なんでも翌年正月頃までに山を焼かないと雪上加霜、家運衰退する等の噂が立ち込め、ある時、ひとりでに火が付けられて燃やされるようになったという。
しかし、度々放火が起きると、それが原因で東大寺境内への延焼が危惧され、1738年12月、奈良奉行所は若草山に「放火禁止」の立て札を立てたという。
星霜経た後、若草山の山焼きは地元・寧楽会有志が主体となった行っていたらしいが、1910年(明治四十三年)、若草山山焼き行事が奈良県へと移管され、今日に到る。
実は‥「若草山焼きがいつから行われているのか?なぜ行われるようになったのか?は未詳!
‥「若草山焼きがいつから行われているのか?なぜ行われるようになったのか?‥についての確たる回答は判然としない様子。
しかし、その起源は若草山三重目の頂上にある、「鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)」と深く関連しているとも‥。オバケか?
若草山焼きの日時は実は何回も変更されてきた!
若草山焼きの日程や時間などは、これまでに何度も変更されている様子。
現在のように「1月第4土曜日」と決まるようになったのは2009年(平成21年)からのこと。
山焼き=浄化の炎で災いを防ぐもの
若草山焼きは上記のように、古墳の霊魂を鎮める魂鎮め(たましずめ)の意味合いをもって、いつの頃からか行われるようになってい‥申す。きゃ
同様に、山焼きには農業的な意味合いがあるケースもありますが、鎮魂の意味合いがあるケースも多いのも事実。
京都の五山送り火、通称「大文字焼き」は有名。
‥そういえば、我らが奈良にも戦没者慰霊を目的とした大文字焼きがある。
山焼きが神聖なものである証の一つとして、現在では若草山焼きの炎は春日大社で採取されてい‥申す。ぴゃ
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