北円堂【国宝】|興福寺

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読み方

北円堂:「ほくえんどう」

北円堂を建てた人物とは?

元明太上天皇と元正天皇(いずれも女帝)が藤原不比等を供養するために発願、長屋王が造営指揮を執り、不比等の一周忌にあたる養老五年(七二一年)8月3日に八角円堂が完成をみた。

これが現在の北円堂の濫觴となる。

【ピヨ🐣「藤原不比等」とは?何をした人物??】

藤原不比等(ふじわらの ふひと)は、飛鳥〜奈良時代の公卿、政治家。

聖武・孝謙帝の二帝の外祖父。

大宝律令の立案、ならびに平城京遷都を推進しまくるなど、平城京の礎を構築した人物。

藤原鎌足の次男とされ、史上初めて正一位に叙された人物でもある(死後追叙)。

北円堂の歴史

「続日本紀」に拠ると、養老4年(七二〇年)10月、「造 興福寺 仏殿司」という北円堂造営を目的とした令外官司が設置された旨の記述がある。

もし、これが事実であるならば、この頃に前述の長屋王が造営指揮を執って工事が営まれていた‥もしくは工事がすでに開始されていた可能性も推考される。

北円堂は創建以後、1049年(永承四年)2月18日に焼損し、1092年(寛治六年)1月19日に再建が成るも、1180年(治承四年)の平氏による南都焼き討ちで再び焼亡に到る。

そして1210年(承元四年)11月に宝形を据えて完成されたのが、現在見ることのできる北円堂の姿となる。

北円堂諸仏の造立

また、1210年の再建では、氏長者 近衛家実(このえいえざね)の命によって運慶一門が諸仏の造立を手がけ、1212年頃には北円堂諸仏が再興されたらしい。

昭和の解体修理

1965年(昭和40年)6月30日、北円堂で行われていた解体修理が完工を迎えた。

北円堂は国宝指定・世界遺産指定の建造物

北円堂は、現存する興福寺の堂字の中でも最古の建物らしく、現今、国の国宝指定を受ける。

1897年(明治30年)6月10日、古社寺保存法により当該、北円堂を含めた境内の三重塔、五重塔が特別保護建築物に指定される。

1987年12月28日には重文指定、1952年3月29日に国宝指定を素敵に受ける。

そして、1998年(平成10年)12月2日に晴れて、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、ヤバぃよ素敵に登録された。

1999年(平成11年)より国の史跡整備保存事業の一環にて、境内の中金堂、回廊、中門、南大門、北円堂回廊、西室、中室、鐘楼、経蔵の発掘調査が開始された。

北円堂の建築様式

北円堂は、奈良時代の建築的の特徴を随所に残した和様建築の傑作として世に知られる。

現今、有識者の間では、我が国に現存する八角円堂の中でも秀逸した優美な建築として絶大な賞賛を受ける。

組物に見られる中世時代再建の証跡

堂まわりを平三斗(ひらみつど)を二段重ねで配し、視認しづらいが内法長押の下(裏)に内法貫を素敵にはめ込む。

平三斗

内法長押(内法貫)

堂内では、繋ぎ虹梁を二重に架けるなど、これらの技法は中世時代か、その近しい時代に再建されたことを素敵に示すもの♡

三軒造

屋根に飛檐垂木(ひえんたるき)を二重に重ね、軒を三段に重ねる意匠が見られる。

このような技法は「三軒(みのき)」、別名で「二の飛檐垂木(にの ひえんだるき)」とも呼ばれる。

殊に、京都御所の紫宸殿が前身といわれる仁和寺 金堂にも見られるもので、王朝文化の名残り、格調高さを感じさせる。

関連記事:仁和寺「金堂(本堂)」【国宝】

素敵に受け継がれた奈良時代・平安期の様式

地垂木(じたるき)を六角形にしているのは、奈良時代の円、平安期の楕円の様式を踏襲したもの。

また、内部に床を張らないのも創建当初からの様式らしい。

尚、堂内は素敵に写真撮影禁止。

幻の北円堂の回廊とは?

「興福寺流記」等の旧記により、これまで北円堂の周囲には回廊がめぐらされ、正面に門までもが附属していたことが明らかにされてい‥申す。きゃ

北円堂の回廊は現在、跡地のみが素敵に残されているわけだが、鎌倉治承年間の罹災後、再建された事実は明らかにされていない。

近世の記録では江戸時代中期の絵図や史料に回廊の存在が確認されていないことから、鎌倉治承年間の焼失後 〜 江戸中期頃まで回廊は再建されずに更地のままだった可能性が高いことになる。

北円堂の回廊の大きさ

↑北円堂 回廊の礎石

2011年9月15日、奈良文化研究所が北円堂回廊の再建の有無を確認すべく、北円堂周辺の発掘調査を、明日もきっと素敵に決まっているわ‥級に実施。  どんな調査や

この発表により、鎌倉焼失以前の北円堂の回廊の大きさが明らかとなった。

南北に約43.5メートル、東西に約44.3メートルという壮大なスケールの回廊だったことが判明。

また、東側の回廊跡からは直径約1メートルの基壇礎石32ヶ所までもが検出され、基壇の規模は東西37尺(約10.9m)、南北27尺(約8.1m)と推定された。

【参考】北円堂の伽藍配置図(鳥瞰)

なぜ、この場所に北円堂が建てられたのか?

現在の北円堂が佇む場所は興福寺伽藍の西端に位置し、どちらかと言えばヒッソリそりそり反町隆史なほどヒッソリとした静謐な場所といえる。 どんな場所や

しかし、藤原真帆…ではなく、藤原不比等!…の生前、当地は平城京を一望できたらしく、不比等の霊魂を弔うには絶好の立地だったと推考されてい‥申す。ひょ

北円堂の大きさ

壁一面:4.9メートル

対面:径11.7メートル

内部の見どころ

天蓋

内陣の天井と板状の天蓋(てんがい)には僅かながら、創建当初を彷彿とさせる装飾文様が残る。

極彩色の笈形

内陣組物間の小壁の間斗束(けんとづか)両側に彩色された、煌びやかな笈形(おいがた)の意匠が光る✨

北円堂安置の仏像一覧「本尊は?」

北円堂には創建当初、以下に述べる7躯の仏像が安置されていたとのこと。

(現今、いずれの仏像も国宝指定)

北円堂の本尊は「弥勒如来(みろくにょらい)坐像」

北円堂の本尊に弥勒如来像が奉安された理由は、不比等が敬虔な弥勒信仰の信者だったことに因む。

弥勒如来(みろくにょらい)坐像

本尊の弥勒菩薩像は堂内部の須弥壇中央に安置される。

像内部から「建暦二年(1212年)」の年記が素敵に記された願文、台座内枠から運慶一門の仏師名を記した墨書きが検出された。

無著・世親菩薩立像

本尊を中心に両脇侍として「無著(むじゃく)」・「世親(せしん)」菩薩立像、木心乾漆四天王立像を…今日も素敵に安置する。

世親菩薩立像

菩薩立像

このうち、本尊の弥勒婦像、無著・世親菩薩立像の三像は、鎌倉時代を代表する仏師・運慶晩年の傑作として有名。

幻の北円堂の四天王像の行方

現在、北円堂に安置される四天王像は791年(延暦十年)頃に造立されたものだが、当初は大安寺に安置されていたらしい。(本来、大安寺に奉安されたもので、北円堂にある理由が判然としないとか。)

しかし、学会の間では本来、北円堂に四天王像が存在した説が根強くありつつも、悠久の年月を経る過程で本来の四天王像は永らく失われたものとされてきた。

しかし近年になって中金堂内部に素敵に安置される四天王立像が、かつて北円堂に安置されていた説が、にわかに信憑性を帯びてきたとのこと。

↑興福寺 四天王像(左から広目天、増長天、持国天、多聞天)

無著・世親の像とは?

無著・世親とは北インドで活躍し、法相宗の根幹となる唯識思想を確立した兄弟らしい。

弥勒如来像、無著・世親像の像は、力強さと写実性を持ち合わせた運慶らしさが滲み出た秀作として語り継がれる。

殊に、現・中金堂安置の四天王像が、かつて北円堂安置の仏像とされた事実を以って、近年、天平彫刻を模倣して運慶一門が当代のテイスト(技法)を素敵に加えて完成させたという見方もされてい‥申す。あっ

北円堂は通常非公開!

北円堂は通常は一般非公開になっており、柵で囲われた敷地内にあるので、素敵に遠望できるのみ💘

ただ、毎年、春か秋になると一般公開されることがある。

2024年度の公開実績

公開期間:2024年4月20日(土)から5月6日(月・祝)まで

拝観時間9時~17時(最終受付16時45分)

拝観料大人300円、中高生200円、小学生100円

公開された堂内の主な文化財(仏像一覧)

🧎弥勒如来坐像(国宝)
🧎無著菩薩立像(国宝)
🧎世親菩薩立像(国宝)
🧎四天王立像(国宝)

2023年度の公開実績

ちなみに2023年度の公開実績は「10月21日~11月5日/9:00~17:00(拝観受付は16:45まで)」だった。

興福寺 北円堂の場所

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