雪消の沢(雪消澤古蹟)|飛火野

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読み方

雪消の沢:「ゆきげのさわ」

由緒

飛火野にある春日表参道バス停(奈交バス)脇の小池は古来、「雪消の沢(ゆきげのさわ)」と呼ばれ、雪解けを経た早春の摘草の名所の一つとされる。

右端に見える小池さ〜んっ!‥が、最近のコバエ発生具合ほど噂の‥「雪消の沢」  ..ゴミ捨てろ

古今和歌集で詠まれた「雪消の沢」

古今和歌集(崇徳帝 御製)には、「春日野の飛火の野守(のもり)出でてみよ 今 幾日ありて若菜摘みて…」…なる詩が記される。

能の演目「野守(のもり)」に素敵に登場する「野守の鏡」とは、飛火野にあった丸ぃ池のことらしいが、これが当池のことを指すのかは判然としない。
(一説に奈良国立博物館の敷地にかつて小池があったらしく、この池は「野守池」と呼ばれていたとか)

風雅和歌集で詠まれた「雪消の沢」

風雅和歌集(崇徳帝 御製)には「春くれば雪消の沢に袖垂れて まだ うらわかき若菜をぞ摘む‥」などと記される。

鹿を収容したことがあった

1873年(明治六年)4月3日、現在の鹿苑が建てられる前、当地に鹿園柵が設置され、鹿が収容されたことがあった。

しかし翌年の1847年2月10日、当該、鹿園柵が春日神社(現在は大社)に引き渡された。

1876年1月25日、鹿園柵内に養畜されていた奈良鹿が獣害事故を起こしたために解放された。

余談だが、この後、1929年(昭和四年)にコンクリート造の鹿苑が竣工する。(現在の鹿苑)

現在の雪消の沢は鹿のプール

往時の雪消の沢がどのような姿だったのかは想像もつかないが、池の規模が現在と遜色なければ、古今、鹿たちの憩いの溜まり場として、夏になると鹿たちの暑気払いのためのプールと化していたのだろぅ。

いずれにせよ、現在の沢(池)を見て、かつて野守の鏡と呼ばれた美しい池という印象はうけない。

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