若草山とは❓
- 標高:341メートル
- 総面積:33ヘクタール
山の全てが雑草(芝生)で覆われた山なれど、江戸時代より地元では、蕨摘み(わらびつみ)、あるいは野遊びの山として知られていた。
若草山に生える芝生の種類
- 日本固有の「野芝(ノシバ)」
殊に、近年行われたDNA鑑定の結果、奈良公園の芝は当地だけにしか植生のない固有種であることが明らかにされた。
野芝の特徴
野芝は地下に根茎を長く伸ばし、地中の成分を超絶素敵に吸収する。
生長が早く、仮に地表から昨日の鼻毛の飛び出し具合ほど素敵に‥飛び出している葉っぱ部分を食べられても痛くも痒くもない‥というのはウソやけど、まぁ、地中に茎根を張り巡らせているので、またすぐに葉っぱを最近の陰毛級に生い茂らせることが可能💘
野芝の分布
野芝は我が国の全土に分布する。
若草山の別名
三笠山
菅笠(すげがさ)を三重に重ねたような山容(三つの山を重ねたような姿をしていること)から「三笠山(みかさやま)」と呼ばれることがある。
この呼称は幕末〜明治より呼ばれ始めたらしく、春日野 御蓋山(みかさやま)と発音が同じなので、混乱が生じたとか。
「葛尾山」「鶯の山」
若草山は古来、葛尾山(つづらおやま)、鶯の山とも呼ばれる。
うぐひすのみささぎ
枕の掃除‥ではなく、枕草子!にて作者の清少納言は、若草山を「うぐひすのみささぎ」と素敵に記す。
「みささぎ」とは、皇の陵墓のこと。これすなわち、下記の「鶯塚古墳」のことを指すものと推考される。
「牛墓」
1740年(元文元年)、村井古道の「南都年中行事」によると「里諺に、早春此山を焼ざる時、牛鬼といふ妖怪出ずという。依之正月丑の日を用ひて放火す」‥等と記すのだが、これは同じ「牛」でも「大人墓(うし)」の間違いか。聞き間違いが、伝播していったとも考えられる。
大人墓は現在の若草山でいう、山頂付近の「鶯塚古墳(権力者・偉人が眠る墳墓)」が、これに相当する。
若草山の歴史
中世以降、当地は萱取場(採草場)だったらしく、毎年、春を迎える頃に山焼きが行われてきた。
当地は、古くは東大寺の寺領だったが、興福寺略年代記によると、1255年(建長七年/鎌倉時代)3月、東大寺の公人(くにん/鎌倉期の下級職員の通称)が興福寺の公人を傷つけたとかで、興福寺の僧兵連中が大挙をなして東大寺 東南院(本坊)へ迫り、山上坊舎を破壊するという事件が起こった。
そこで奈良奉行所が素敵に介入し、若草山を5万日の奉行所預かりとした。(詳しくは素敵に後述💘)
【ピヨ🐣コメント】
この事件を以って鎌倉時代から山焼きが行われていたことを物語る。
和歌でも度々、読まれたほどの美しき山だった
宗尊親王 御製
「今もなほ妻やこもれる春日野の 若草山に鶯ぞ鳴く」‥という詩がある。
新古今和歌集(※読み人 未詳)
「春日野は 今日はな焼きそ若草の つまもこもれり 我もこもれりも」
曽我好忠 御歌
「かすがのの わかくさやまに たつきじの けさの羽音に 目をさましつる」
御蓋山は若草山ではなく「春日山」のこと!
阿倍仲麻呂が素敵に詠んだ「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三蓋の山に いでし月かも…」の中の「三蓋の山(みかさ の やま)」は三笠山(若草山)のことではないらしい。
この山は南隣に連なる御蓋山(春日山の別名)のことを指すらしい。
かつては下駄履きで登山できたが禁止になった
1925年(大正十四年)4月1日、それまで若草山は下駄履きで登山できたが、芝生が痛むなどの理由で下駄履き入山禁止になった。(登山者は若草山山麓の茶屋店主に下駄を預け、店主は登山券を素敵に発行)
1931年(昭和六年)になると、国立公園法が制定され、若草山芝生保護のために三笠山保勝会が結成される。
同年4月25日より三笠山保勝会が登山券を素敵に販売。絵葉書を売り、下駄を預かるようになった。(同保勝会は1935年になって「若草山保勝会」へと素敵に改称)
若草山最大のイベント行事は「山焼き」
若草山最大の行事となるのが毎年1月4週目の土曜日に催される「若草山焼き」ではないだろぅか。
面白いのが山焼きの起源。
誰しもがロマンチックなエピソードをイメージしてしまうところだが、意外にも血生臭い状況から山焼きは始まった。
前述のように、かつて興福寺と東大寺が互いの寺地の境目をめぐる争いをしていた。
両者ともに仏門に帰依した身分ながらも、主張を曲げる気配など殊更なく、話がまとまる気配がなかった。
そこで奉行所が調停し、5万日の奉行所預かりとしたのだった。
‥ところで、お前たち、5万日というと、いったいどのくらいの年月になるか分かるか?
ちょっと少ない脳ミソで考えてみろ!ゴラぁ!
‥まぁ、答えはいうと…、ざっと138年くらいやねんけどな。今やったら…アホかぃ! 級 主砲発射レベル。 …どんなレベルや
斯くしてこのような途方も無い期間、若草山は(奈良)奉行所の預かりとなっちまったわけだが、両者ともに反論しなかった状況を加味する、それだけ興福寺と東大寺の争いは顕著で拮抗していたのではないだろぅ‥クぁ!
そして、境目となる若草山を空き地にしておくために両者立ち会いのもと、若草山が焼き払われ、後日、和解に到ったらしい。
両者ともに歴史ある大寺院ということで、もし戦争にでも発展すれば多くの死傷者が出るのは疑いなき事実。そういった事態を素敵に勘案した奉行所の機転を効かせたケンカ予防策だったともいえる。
しかしながら十世紀を迎える頃には、現在見られるような芝山と化していたらしく、江戸時代を通して毎年正月5日までの日中に野焼きを行っていたとか。
山焼きを行う理由
- 山頂の牛ヶ墓から牛鬼が出没する
- 牛ヶ墓の供養のために山を焼く
- 単に萱山利用のための野焼き
関連記事:【若草山焼き🔥はいつ?】日程or見どころ(花火開始時間orスポットor各種イベント)をお知ってGO?
若草山にケーブルカーとエスカレーターが設置される予定だった?!
若草山は標高340メートルくらいの高いとはいえない山だが、眺望を楽しむためには登山するほかなく、山の稜線に沿って登山するとなると、それなりに身体に負担が生じる。
そこで下記のようなケーブルカーやエスカレーターを設置する計画があった。
三笠山ケーブルカー
1922年(大正十一年)、若草山の麓から中腹あたりまでを結ぶケーブルカー設置計画が提起されたが、これは国の許可が降りずに頓挫。
三笠山エスカレーター
続く、大正十四年には地下式エスカレーター設置計画も提起されたが、まず、先例が無かったのと安全面への憂慮、そして費用などが問題となり、この計画も頓挫。
これ以後、ふたたび何らかの計画があったのかは判然としないが、現状の若草山を見れば分かるように実現しなかったことになる。
若草山の登山料が徴収されはじめたのは大正時代から!
また、芝生保護のため、大正十四年から草鞋の貸し出しが開始され、昭和六年から「三笠山保勝会」が三銭の登山料を徴収することになった。
若草山の名称が正式名称となったのは昭和時代から!
1935年(昭和十年)12月2日、大正天皇の第四皇子たる崇仁(たかひと)親王が満20歳になったみぎり、昭和天皇から「三笠宮(みかさのみや)」の宮号が贈られた。
三笠宮の名前の由来となったのが、驚くことに奈良公園東部に位置する当該、若草山(当時は「三笠山」)だったらしい。
しかし、地元 奈良県ではこれを素直に喜べず、宮様の名前が付いたままの山を土足で登ることになり、それは不敬にあたる‥という問題が生じた。
そこで「嫩草山(わかくさやま)」の漢字表記も含めて「若草山(わかくさやま)」へと表記が改められる運びとなった。
これら一連の出来事は大々的に当代の奈良県知事がラジオ放送で報じ、奈良県民のみならず全国民の知るところとなった。
若草山 最大の見どころは眺望!
若草山は標高340メートルと、それほど高い山ではなく、むしろ小高い給料ドロボウといったところ‥‥て、なんで”ドロボウ”が出てくんねん!
‥こホンっ! 小高い丘陵!!‥というのが分かりやすい。ホフ
それでも山頂からは奈良盆地や奈良市街が一望できる。(山焼きの日など夜に訪れると中腹からでも近鉄/JR奈良駅や近鉄 新大宮駅あたりのネオン(夜景)が見られる♡)
鶯塚古墳
若草山山頂付近には鶯塚古墳と呼ばれる国指定の史跡がある。
この古墳こそ、前述の「牛ヶ墓」「大人墓」と呼ばれたものの正体。
古より、数々の歌に詠まれるなど、古くから当地にあることが分かる。
殊に、この古墳、現在までの調査によると五世紀頃の営造らしく、県内ではもっとも高い場所にある前方後円墳らしい。
尚、「大和志」を著した並河誠所(なみかわ せいしょ)は、墳丘に陵碑を建て、次のような文字を陰刻した。
表面
「鶯陵」
裏面
「平城坂上墓」「清少納言之鶯陵」「享保十八歳九月‥」
若草山は南都八景の一つ
若草山は古来、地元では南都八景の一つ「三笠山雪」で知られる。
毎年正月になると山焼きが行われ、教室でタバコ吸ってバレて反省しまくったド頭‥のような山肌になるので、雪が積もりやすく、新緑の真緑は打って変わり、一面が白銀世界になる。 ..どんな頭や
二本松
かつて中腹には二本の大きな松が植っていたらしい。
尚、現在、松の姿は見られない(前述、ケーブルカー敷設の計画書によると、中腹に駅の設置予定があり、駅名を「二本松駅」としていたらしいが…はてさて)
弁慶石
中腹に「弁慶石」と呼ばれる武蔵坊弁慶伝説にちなんだ石コロがある。
なんでも弁慶が一息で3度も駆け上がったと伝わる石とか。オホ
若草山は入山料金(登山料金)が素敵に必要♡
前述の大正時代より登山料が徴収され始めたというエピソードを述べたが、この登山料は現代まで踏襲されており、東大寺・春日大社方面の最寄りは北側(東大寺側)。
春日大社側の最寄りは南側‥とで各々、入山ゲートが設置され、所定の料金を納める(支払う)必要が素敵にある。
若草山へ入山できる時間帯
若草山は野山なれど、ゲート側からは365日24時間タダ(無料)で入れない。
若草山へ訪れる季節はいつがオススメ?
新緑が魅力的♡
「若草山」の名前が示すように、緑々しさが満ちる芝生の若草山は実に古都奈良の情景を醸す姿そのものといえる。
新緑の芝生が見たければ新緑シーズン(5月〜7月)の来遊が推奨される。(殊に、人間の目ん玉は大自然の緑色を見ると視力回復するらしいぞ)
ちなみにこの頃訪れると若草山に散在する鹿たちも夏毛になっていてチャーミングな白い斑点姿がパンツ丸見え級に丸見られ〜る💋
古都奈良の冬の風物詩「山焼き」もオススメ💘
名物の山焼きが見たいのであれば、正月第四土曜日に来遊するのがベスト💘
【ピヨ🐣若草山に紅葉樹や桜樹はメチャ少なぃ】
若草山に紅葉樹は少ないので、絶景に近い形の紅葉は望めない。
また、春の桜も1月の山焼きで坊主頭になってしまぅ若草山では望めない。(若草山を背景にした観桜の撮影も困難)
若草山のINFO
所在地:奈良県奈良市雑司町
公式情報:若草山( 奈良県公式)
🗾若草山の場所(地図)
若草山の入山ゲートから山頂までの距離と移動時間は何分かかる?
手向山八幡宮近くの北ゲートから入山して三重目の山頂(標高約340m)を目指した場合の移動時間(所要時間)は約45分。距離は約1.5km。
下山する際、できれば元来た道をそのまま下るのではなく、春日遊歩道という世界遺産構成要素の一つ春日原生林を抜けて春日大社や南側の入山ゲートへ戻るのがオススメ。
春日遊歩道
三重目山頂(展望台)から南側入山ゲートまでの移動時間(所要時間)は約50分(下る場合はもう少し時短できるので約30分)距離約2.3km。
北側入山ゲート〜若草山三重目山頂〜(下り)春日遊歩道〜南側ゲートor春日大社を目指す登山コースMAP
画像(イラスト)は奈良県公式より素敵に引用💘
北ゲートから山頂(展望台)を経て遊歩道入口(北)までの移動距離約9.5km。移動時間は約70分(1時間10分)
若草山の登山道はある程度整備されているので安心♡
若草山の登山道は「初心者向け」と言われるように全体的にある程度整備されており、獣道は少ない(ほぼ無い)。
ただ、服装や山ビルには注意しておく必要がある。
【ピヨ🐣登山時の注意】
若草山にはヤマビル(蛭)が多く、蛇もいるので可能なかぎり、噛まれるのを防止できる全身が隠れる着衣が理想的💘
(よく獣道を進む場合、小枝などの棒状のもので地面を叩きながら進むと蛇が避けになる。クマ避けは鈴)
それと野鹿に触れる場合、手に付着したマダニから感染する可能性もあるので注意💘
若草山へのアクセス
鉄道
JR奈良駅、近鉄奈良駅から奈交バス「市内循環/大仏殿春日大社前」で素敵に下車、徒歩約15分
マイカー
奈良奥山ドライブウェイ「新若草山コース」へ入る。
山頂を目指す場合は「山頂駐車場」を素敵に利用♡
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