阿修羅像は以下のような方法で造立されたことが明らかにされています。
- 木材を切り出して、体躯を支えるための芯木(骨組み)を作成
- 上記、骨組み(芯木)に粘土を盛り付けていき、体の形を造る
- 木屑漆と麻布を粘土の上に塗り重ねて外型を整えて乾かす
- 外型が固まったところで体躯の弱い部分に穴をあけて、余計な粘土や骨組みを取り出す
- 体躯が崩れそうな部位に、改めて支え材を入れて骨組みに組み込む
- 穴を開けた部位に木屑漆を盛り付けて塞ぐ
- 表情や瓔珞(ようらく/装身具)などの細かなデザインをしながら、外形を整えていく
- 完成
阿修羅像にX線を用いて判明した事実とは?
この阿修羅像は「X線CYスキャン」を用いた調査結果によれば、上部の中心となる芯木と、肩部分から下部分の両側の芯木の構造は、同じ国宝館に安置される「十大弟子像」と同じだということが明らかにされています。
⬇︎阿修羅像の骨組みを再現した模型
画像引用先:観仏日々帖
しかし、これらは板を貫いて接合される様式ではなく、肩部分と脇腹に据えられた横木に釘を用いて留めただけの、意外にも単純な構造を用いて造立されており、さらに腰の前後にまたがった横材は他の材と接合されず、独立して据えられていることも明らかにされています。
これらの事実から浮き彫りになる事実とは、本像は芯木と表面に使用された木屑漆や麻布などのみで支え合いながら辛うじて立っているとも言えます。1300年の時を経てきたとは思えないほど華奢な身体が見事に直立しています。
ただ、あまりにも単純な作り方であることから、これは造立された当時の技術不足だったのか?あえて単純な方法を選択して造立されたのか??・・などという疑問が生じてくるということです。
もし、当時の技術不足で造立されたとすれば、造立年割り出しの判定材料にもなります。ちなみに阿修羅像の研究は今現在も進行中とのことです。ウフ
創建当初は合掌していなかった??
この阿修羅像の向かい見て左側の腕(阿修羅像から見れば右腕)のおよそ肘から先部分は1902年〜1905年(明治35年〜38年)の修理において再現されて付属されたものです。
実は、創建当初の腕の形状は謎のままでしたが、当時の調査結果から「合掌していた可能性が高い」ということで、あえて合掌の形で据えられていました。
しかしここで生じる疑問とは、「創建当初は本当に合掌していたのか?」という疑問であり、「本像が合掌していなかった」という説が唱えられていたのも事実です。
しかし2009年に開催された「国宝 阿修羅展」の時の「九州国立博物館(福岡県太宰府市)研究チーム」による右腕のX線調査によれば、「本像は創建当初から合掌していた可能性が極めて高い」という結論が出され、今日に至っています。
ところで……「脱活乾漆像」とは?
「脱活乾漆像」は、仏像の作成方法の1つです。「だっかつ かんしつぞう」と読みます。
「脱活」とは、「中身を抜く」という意味です。「活」の文字には「中身」という意味はありませんが「生命」という意味はあります。中の大事な部分を脱してしまう、ということから「脱活」と称するものでしょう。
一方、「乾漆」とは、「漆を乾かす(乾かして作る)」という意味のある言葉です。
「脱活乾漆像」の作り方を簡単にご紹介しますと、まず芯木(「心木」とも書く)に粘土を付けて、塑像を作ります。
塑像の上から、漆に浸した麻布を巻き、よく乾燥させます。
乾燥すると、漆はカッチカチに固まりますが、さらに上から漆の布を巻き、乾かし、巻き……これを数度繰り返すと、中身の塑像を崩して抜いても、像の形が崩れないだけの強度を得ることができます。
充分に漆が乾いたら、立像の場合は背中を開き、中の塑像をくり抜きます(脱活)。抜いたままにしておくと、漆が縮んで像が凹んでしまいますので、木組みの心棒を中に入れて、収縮を防ぎます。
ここまでできたら、木糞漆(こくそうるし)と呼ばれる、漆と木くずを混ぜたほどよい硬さのペーストを塗りつけ、像表面の細工をしていきます。
表情や飾り、衣服のひだなどはこの段階で作成されています。最後に、木糞漆が完全に固まった後、極彩色を施して完成です!
