春日大社・金龍神社(若宮社 末社)
読み方
きんりゅうじんじゃ
建築年
1331年(元弘元年/鎌倉時代末期)8月25日
再建年
1708年(宝永5年/江戸中期)※興福寺寺伝
1844年(天保15年/江戸後期)※春日大社社伝
建築様式(造り)
一間社春日造り
千木の形
外削ぎ
ご祭神
金龍大神
ご利益
開発・発達(近年、金運、財運の神様としてお参りされることも多い)
例祭
例祭:8月25日
初辰祭:毎月初辰の日
金龍神社の読み方
金龍神社は「きんりゅうじんじゃ」と読みます。別表記では「金龍殿(きんりゅうでん)」とも書かれます。
”金龍”の名前の意味と「金龍神社の別名」とは?
金龍神社は、南北朝時代の後醍醐天皇ゆかりのお宮と伝えられます。”金龍”の意味とは天皇のお住まいである「禁裏」が訛って変化したものと伝えられており、別名「禁裏の社」とも呼ばれます。
もし、”禁裏”が訛って変化したものならば「禁裏社」の呼び名が正式名称だということになります。
目次
金龍神社の御祭神「金龍大神」
金龍神社の御祭神は、「金龍大神(きんりゅうおおかみ)」と呼ばれる神様です。ご利益は「開運財運」をお守りくださる神様です。
開発・発達の神様として信仰されてきましたが、近年、金運、財運の神様としてお参りされることも多くなりました。
「若宮15社巡り第14番納札社」、社格は「若宮社末社」となります。
金龍神社の歴史・由来
この金龍神社の創祀は、1331年(元弘元年)の鎌倉時代末期にまで遡ります。
当時の日本は鎌倉幕府の治世でしたが、やがて後醍醐天皇が天皇主権を復古させようと鎌倉幕府にあらがいます。しかし、京都の六波羅探題に倒幕計画が露見してしまい、急遽、女装して奈良へ参拝するという理由で京から逃走する運びとなります。
その後、まずは東大寺(奈良)へ身を寄せ、笠置山(現在の京都府相楽郡笠置町)へ逃げ延びることに成功しますが、その道中にこの春日大社へも立ち寄り、その際、当地にかつて存在した「櫟屋(いちいのや)」へ赴き、「鏡」を奉安しています。
「櫟屋」とは、かつて若宮社の南側に大きなイチイガシが自生しており、その脇に建てられた建物であることから「櫟屋(いちいのや)」と呼ばれていたようです。
以後、この社は「神鏡を祀り守護する」という役割を担うこととなりますが、この社こそが現在の金龍神社の起源だとされています。
これ以降、金龍神社は幕末(江戸時代)まで歴史上(文献上)から姿を消すことになりますが、この理由の1つとして、後醍醐天皇が南朝方の総大将であったことがあげられます。
すなわち、当時、北朝方に付いていた興福寺は金龍神社の存在を”よし”とせず、御神体である「神鏡」は春日大社の社家である「東地井(とじい)家」が密かに持ち出し、家宅で奉安していたからです。
なお、この事実は春日大社に伝わる「春日社記」にも記載がありません。
現在地に再建された金龍神社の2説ある再建年について
この金龍神社の名前が再び文献上に登場するのが江戸時代になります。文献に書かれている内容としては江戸時代の当地に再建されたとの記述が見られますが、以下のような2つの説が述べられています。
1.「1844年(天保15年/江戸後期)」再建説
上述、「東地井(とじい)家」に奉安された後、後醍醐天皇の祟りを恐れ、『第53回式年造替の折、1844年(天保15年/江戸後期)に、現在の場所に末社ではなく「金龍殿」という名でお社を建て、お祀りすることとした、』との記載があります。これが文献上に初出です。
2.「1708年(宝永5年/江戸中期)」以前の再建説
興福寺に納められている、1708年(宝永5年/江戸中期)の『春日興福寺境内図』には、現在の社殿のある場所に「金龍殿」と明記した「三間社切妻造平入の社殿」が描かれており、前述の1844年再建説とは矛盾が生じます。
すなわち、興福寺所蔵の春日興福寺境内図を正とするのであれば、この「金龍殿」は1708年以前より当地に存在していたことなります。
しかし既に存在していた当時の金龍殿がどう活用されていたのか?
あるいは誰かの手によってキチンと管理されていたのか?
御祭神が祀られていたのか?
・・などの詳しい資料が現存しておらず、依然、謎に包まれたままです。
また、神鏡についての記述も残されておらず、このため、社殿に奉安されたのはいつのことなのか?
いや、そもそも神鏡は祀られていたのか?
もし祀られていたとするのであれば、実際に後醍醐天皇由来のものであるのか?
・・などといった事実はハッキリとしておらず、口伝の域を出ていないのが現状です。
ところで・・江戸時代になって後醍醐天皇の祟りを恐れた理由とは?
後醍醐天皇の神鏡の正体=金龍神社の御神体の正体とは?
金龍神社の御神体つまり、後醍醐天皇が奉安したとされる神鏡は、中国唐代の「舶載鏡(はくせんきょう/中国で製作後、日本に渡った鏡)」だと伝えられています。
⬆️神鏡のイメージ画像(奈良県・柳本大塚古墳出土 「内行花文鏡 」)引用先:https://ja.wikipedia.org/
そんな由緒を有することからこの鏡は1953年(昭和28年)11月14日に「禽獣葡萄鏡(きんじゅうぶどうきょう)」として、重要文化財指定を受けています。
禽獣葡萄鏡
- 直径:29.5㎝
- 厚さ:2.2㎝
- 所蔵場所:春日大社宝物殿
神鏡は現在、金龍神社の内部には安置されておらず、重要文化財であることから春日大社宝物殿にて所蔵されています。
では、金龍神社の内部には神鏡の代わりに何が安置されているのか?
という疑問にさしあたりますが、これは春日大社の中でも一部の神職しか知らない極秘事項のようです。ただ、神の御霊をお遷した代わりの神器が奉安されているのだと推察されます。
金龍神社の建築様式(造り)
金龍神社は社殿正面が南面を向いた「一間春日造」で造営されたお社です。春日大社の子社に堂々と列する荘厳さを兼ね添えた社殿らしく、豪壮感を備えた切妻屋根を持ち、今にもイナズマを呼び寄せ、天空を貫き通すような猛々しい千木(ちぎ)も据えられています。ちなみに千木の形状は男性の神様を示す「外削ぎ」です。
しかし千木の形状を鑑みれば、「金龍大神」とは前述にて「後醍醐天皇の祟りを恐れ神鏡を奉安した」と記載した通り、後醍醐天皇そのものが御祭神であるという見方もできます。
すなわち、当神社のご利益である「開運・発展・財運」は、巨大な鎌倉幕府の力に何度もあらがい、その都度、逃走劇を繰り広げながらも、存命中についにその悲願を達成した後醍醐天皇の功績をたたえたようなご利益だといえます。ウフ
なお、金龍神社の境内は1978年(昭和53年)に整備されていますが、1997年(平成9年)にも後述の「お百度参り」ができるようにさらに境内が整備されており、これが現在見ることのできる金龍神社の姿です。
金龍神社の見どころ
お百度詣り
上述した通り、平成9年に「お百度参り」できるように崇敬者の寄進によって境内が整備されています。
通常、お百度詣りと聞けば社殿の前に建てられた2本の石柱をぐるぐる回るイメージがありますが、そうではなく、金龍神社の社殿の周りをぐるぐると回ります。
始点は金龍神社の社殿の前方です。特に始点となる目印はなく、とにかく社殿の前が始点です。そしてこの始点からぐるっと1周社殿の周囲を回ってきて、再び始点に帰って来ればこれが1周です。
真剣な願い事がある方は、あと99回頑張りましょう!
ただ、無理をして100回必ず回らなければならないというわけではなく、春日大社さん曰く、「あくまでお気持ちです。」とのことです。
御朱印スタッフも実際にやってみましたが、晴天の日で地面が乾いている状態で早足で1周15秒くらいです。
かける100回で1500秒=25分!約30分で100回回れます。
なお、このお百度参りには専用の「数取り紐(かずとりヒモ)」を付近に位置する「夫婦大国社」にて授与されていますので、この紐を1周回るごとに手折って回ることになります。
この数取り紐も強制ではなく、春日大社さん曰く、『特になくてもご利益に変化はなく、ただ数を数えるための紙ヒモです』とのことです。
ただ、信者さんの間では100回回り終えた後、数取り紐を神前にお供えして帰るのだとか。
春日大社でお百度参りしてみたい方はぜひ!金龍神社へお越しください。
金龍神社お百度参り申し込み方法
- 午前9時〜午後3時までの間に「夫婦大國社」へ行く。
- 数取りヒモを拝受する(初穂料500円)
- 数取りヒモを持って金龍神社へ赴く
- 金龍神社へまずは参拝!(二礼二拍手一礼)
- いよいよ100度参りスタート!社殿の手前を始点として時計回りにまずは1周回る
- 再び始点(社殿前)に戻ってきた数取りヒモを1つ折る
- 以上を100回繰り返す
- 100回回り終えたのち、数取りヒモを金龍神社ご神前へ奉納して最後にもう1度、二礼二拍手一礼で締めくくる。
- 完
「初辰祭」は金龍神社のご利益「発達」に通じる!
金龍神社では毎月一番最初の辰の日の午前10時より初辰祭が斎行されます。
「発達(はったつ)」は発音が「初辰(はつたつ)」と類似していることから縁起が良く、互いに通じ合うものがあるとされ、古来、発達・発展のご利益があると信仰されています。
この日は神職の方が祝詞を奏上しながらお百度参りを行いますので、その様子を拝することができます。
また、この日は特別に特別祈祷も実施されていますので、霊験あらたかなご利益を授かりたい方はぜひ!初辰の日に金龍社へご参拝ください。
- 特別祈祷の初穂料:10000円(午前9時〜午後3時まで受付)
金龍神社祈祷絵馬
また、金龍神社では専用の祈祷絵馬も授与されています。祈祷絵馬をご希望の方も上記、「夫婦大國社」にて初穂料500円で受付されています。
奉納された絵馬の数からしても理解できるように、このような山奥にポツンと一人寂しい状況に社殿がありながら、それだけ多くの崇敬者が訪れ、すなわち、崇敬の念が集積されているという証にもなるというものです。
社殿の前には2つほど絵馬を掛ける柵が設けれていますが、いずれも奉納された絵馬でギッシリです。
「禁裡殿」と書かれた木柱
金龍神社の社殿東側の入口には「禁裡殿(きんりでん)」と墨書きされた木柱があります。これは先代の春日大社宮司・葉室賴昭(はむろ よりあき)氏が揮毫された木柱になります。
葉室家(はむろけ)は藤原北家の勧修寺流支流に属する家柄であり、すなわち春日大社を創建した藤原永手(伯父が不比等)の流れを汲む家系になります。
達筆で力強く書かれた字体から深く教養の備わった人物像がうかがえます。
後醍醐天皇が建立した初期の金龍神社趾
現在の金龍神社はかつて後醍醐天皇が春日大社へ参詣した際、神鏡を奉納するために築いたとされる社が前身です。そのことを証明するかのような石碑です。
『後醍醐天皇聖蹟 金龍殿趾』
と刻字されています。
石碑の前には向かって左側に「飛龍在天」、右側に「利見大人」と刻字された、宝珠が上に乗ったような石柱が立てられていますが、この意味合いは次の通りです。
『飛龍、天に在り。大人(たいじん)を見るに利(よろ)し」
「飛龍在天」の意味
天を舞うように飛ぶ龍は天子の象徴とされます。すなわち「質実剛健が備わった最も気高き最高の権力者」であることを示唆しています。そして万民がその恩沢を享受する様子を示唆した言葉でもあります。
「利見大人」の意味
「大人を見るに利ろし」とは、力強い龍のような徳を持ちながら君主としての徳が備わり、その徳は他人に影響を与えるほど大きく、物事を良い方向へ導く。ということを意味しています。
これら2つの言葉をもって後醍醐天皇の人物像やその功績を後世に伝え聞かせていることになります。
金龍神社限定のオリジナル守り
金龍神社は財運・金運、発展・開運のご利益があるとされることから、春日大社の公式守りとはまた別に独自のお守りを授与されています。
ただし、金龍神社で授与されているわけではなく、付近に位置する「夫婦大國社」の中にある社務所兼、御朱印授与所にて授与されています。
金龍守
金龍神社のお守りです。古来、運が開け、四方八方から幸運が舞い込むとされる8角形の根付け守りです。
お守りの中央に金龍のレリーフがあります。
- ご利益:開運、金運・財運UP!
有効期限は1年です。
福銭
もはや語るまでもないほどの定番守りです。古くから財運や開運のご利益が伝えられている社では、当たり前のように授与されていますが、この金龍神社でも、やはり福銭守りを授与されています。
持ち方は財布の中や金庫へ入れておきます。
有効期限は1年です。
- ご利益:金運・財運UP!
開運福袋
お守りではありませんが、この袋に宝くじや馬券などを入れて保管しておくと当選確率が倍増するとか。ぜひ一度、お試しあれ!
金龍神社の御朱印
この金龍神社では御朱印を授与しています。ただし、授与場所は上述の「夫婦大國社」になります。
夫婦大國社からの所要時間・距離
夫婦大國社ではこの金龍神社のほか、さらに次の2つの御朱印を授与されています。
- 若宮神社
- 夫婦大國社
- 金龍神社
初穂料:各300円
※夫婦大國社の御朱印は、1人の神職さんが窓口で受付されています。したがって並ぶほどたくさんの方が押し寄せると全種類の御朱印を書くのは困難を伴い、公平性を期すために、お1人1つ(1種類)までの授与になることもありますのでご注意ください。(残りは時間を改めて来訪か別の日)
若宮15社めぐりもおすすめ!
金龍神社は、若宮15社めぐりの第14番納札社に指定されています。15社めぐりの中でも1番悩殺される・・あイヤイヤ「1番納札社」!!である「若宮神社」に次ぎ、鳥居が境内入り口に建てられている社ですので、その重要度や格式が理解できます。
関連記事:若宮15社めぐり
金龍神社の場所(地図)
金龍神社は、若宮社の南約50メートル、紀伊神社に向かう奥の院道の西側にあります。
夫婦大國社から参道が2つに分かれますが、いずれの参道を通っても金龍神社へたどり着けます。距離や所要時間は同じです。
ただ、山側の参道沿いには「三十八カ所神社」「葛城神社」など子社があります。南側の参道を通るとお参りできませんのでご留意ください。(山側の参道を通行して行くのがおすすめです)
春日大社本殿からの所要時間・距離
所要時間:約7分
距離:600m
金龍神社へ参拝できる時間
- 参拝時間:24時間参拝可能
- 定休日:なし(年中無休)
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