春日大社・広瀬神社:若宮社 末社
読み方
ひろせじんじゃ
建築年
不明
建築様式(造り)
春日造
ご祭神
- 倉稲魂神(クライナタマノカミ)
ご例祭
11月25日
広瀬神社は衣食住を守護する神社
広瀬神社に祀られている神様は「倉稲魂神」という神様です。
ちょっと聞き慣れないな……と思うこともあるかもしれませんが、通称「おいなり様」「稲荷大明神」と呼ばれている神様で、衣食住の守護神であると言われます。詳しくは後述します。
「広瀬神社」?それとも「廣瀬神社」?
広瀬神社について、表記を「廣瀬神社」としている資料もあります。
春日大社様における公式の表記は、ホームページや書籍などではほとんどが「広瀬神社」に統一されていますが、実際に広瀬神社の御前に訪れると、看板には「廣瀬神社」と書かれています。
「廣」という字は「広」の旧字体です。
ちなみに、「廣」という文字について、「广」の中に書かれているのは「黄」よりも横棒が1本多い文字です。
これは「黄」のさらに旧字体ですので、旧字体で表記する場合、「广」に「黄」と書いてあっても間違いではありません。
広瀬神社のご祭神は「おいなり様」=「宇迦之御魂神」
春日大社では、広瀬神社のご祭神について「倉稲魂神(クライナタマノカミ)」=「おいなり様」と同じ神様ですよ、と明言されています。
この倉稲魂神ですが、『日本書紀』においては「倉稲魂命」と書いて「ウカノミタマノミコト」と呼ばれた神様です。
『古事記』では「宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)」と申されました。いずれも特に室町時代以降において、この神様は稲荷神と呼ばれました。
ところで「稲荷神」と言うと、「じゃあキツネの神様なのか」というイメージをお持ちの方も多いかとは思いますが、おいなり様は決してキツネではなく、「キツネはおいなり様のお使いである」というだけのことです。それでは、「稲荷神」とは何なのでしょうか。
「稲荷」は「稲」の「荷」と書きます。
このうち「稲」はもちろん、作物のイネです。
「荷」とは、荷物のことではなく、「になう(担う)」という意味を持っています。
つまり「稲荷」とは、穀物の出来を左右する、担う、という意味なのです。
ウカノミタマノカミが「稲荷神」と呼ばれるようになったのは後世のことですが、元々記紀の時代には、穀物や食べ物のことを「ウカ」と呼んでいました(「ウケ」や「ケ」という呼び方もありました)。
そこで、稲(=ウカ)の御霊(=みたま)、という意味で、ウカノミタマノカミは穀物、食物の神であるとされたのです。
倉稲魂、と表記されたのも、「倉」とはすなわち穀物を蓄える場所でしたから、ここから派生した表記であると考えられます。
広瀬神社の御利益
以上のようなわけあって、広瀬神社の神様は食べ物の神様、また同時に、生活を守るという意味で、衣食住の神様であると伝えられました。
広瀬神社の御利益も、公式に「衣食住のお守り」とされているとおり、生活上とても基本的な部分が毎日安心して過ごせるようにお守りくださるものです。
広瀬神社の前に鳥居があるのはどうして?
実際に広瀬神社を訪れると、その前に鳥居が立っていることに気付きます。鳥居、石段、正面に「赤乳神社・白乳神社(あかちじんじゃ・しらちじんじゃ)」両社の遙拝所。向かって左側が広瀬神社、右側が葛城神社です。
なぜ、若宮神社末社の中で、広瀬神社、葛城神社、そして2神社の遙拝所がこのような並びでお祀りされたのか……という理由はわかっていません。ただし、「遙拝所」には多くの場合、鳥居があるか、注連縄が張ってありそこが神聖な場所であることが示されているため、この鳥居は赤乳白乳神社遙拝所のために設置されている可能性もあります。
なお、手前左側のハート型の絵馬は、広瀬神社の向かいの夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)のものです。
広瀬神社は若宮十五社めぐりの第5番納札社
広瀬神社は、春日大社で行われる巡礼プログラムの1つ「若宮十五社めぐり」の、第5番納札社に指定されています。
上の写真では、一番右列、上から4番目にある朱印が広瀬神社のものです。また若宮十五社めぐりでは、さきほど少し触れました「葛城神社」も広瀬神社と一緒にご参拝できますので、ぜひ若宮十五社めぐりに訪れてみてください。
広瀬神社の場所
画像は春日大社HPより
広瀬神社は、若宮神社のわずか北側に位置しています。上の地図では5番が広瀬神社です。
春日大社のご本殿から徒歩2分、若宮十五社めぐりの最中であれば、4番納札社の南宮神社からは、若宮社の手前を通り、徒歩1分の距離となっています。
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