奈良(ならまち)御霊神社の歴史・見どころ・ご利益など【皇后を祀る古社】

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奈良(ならまち)御霊神社の歴史・見どころ・ご利益など【皇后を祀る古社】

御霊神社は、奈良時代より「ならまち」に存在する古社で、1185年前に勃発した権力闘争によって命を落とした皇族や貴族たちの怨霊を鎮めるために創祀された神社です。

かつては隣接する日本最古の寺院「元興寺(がんごうじ)」の鎮守社として多大な崇敬が寄せられていました。しかし時代の流れとともに元興寺が衰退し、御霊神社も引っ張られる形で衰退していくことになります。

ただ、衰退したとはいえ、現在でも変わらず「ならまちの鎮守社」として奈良県下で最多の氏子(うじこ)を抱えるなど、地域の人々に愛され続けています。

以下では、この「ならまち御霊神社」についてご紹介しています。

奈良(ならまち)御霊神社

⬆写真は拝殿

創建年

800年(延暦19年/平安時代)

建築様式(造り)※本殿

一間社春日造り
千木の形:男千木
千木のスタイル:置き千木

鰹木:2本
屋根の造り:銅葺

御祭神

井上皇后(本殿中座)
他戸親王(本殿)
事代主神(本殿)

伊予親王(西側社殿)
橘逸勢(西側社殿)
文屋宮田麿(西側社殿)

早良親王(東側社殿)
藤原広嗣(東側社殿)
藤原大夫人(東側社殿)

例祭

例大祭:10月12日(宵宮祭)
例祭:10月13日
十日えびす祭:1月9日(宵戎)10日(本戎)

ご利益

国家安泰
家内安全
厄災消除
縁結び

”御霊神社”の読み方

寺社の読み方には、難しい読み方をするものもありますが、そのうちの1つがまさにこの御霊神社です。

なんて読むのか予想がつきますか?

何も考えずサラッと読むと『みたまじんじゃ』と読み進めてしまいますが、なんとぉぅっ!『御霊神社』と書いて『ごりょうじんじゃ』と読みます。

なお、正式名として「南都御霊神社」もしくは、「木比御霊」とも呼ばれているようですが、地元奈良では古くから「ごりょーさん」と親しみ込めて呼ばれています。

御霊神社の御祭神(主祭神)

井上内親王(井上皇后)

井上内親王は「いがみないしんのう」と読み、聖武天皇の第1皇女としてこの世に生を受けています。

「井上皇后」というのは死後に送られた贈り名(諡)であり、それまでは「白壁王(のちの光仁天皇)」の妃として「井上内親王」と呼ばれていました。

※注釈:内親王=皇族の嫡子の娘

772年(宝亀3年)に後述の息子(皇子)である他戸親王とともに、『父親である天皇を呪った』という無実の罪をきせられて皇族一家から追放されてしまいます。

追放後は息子の他戸親王とともに「庶人(一般人)」へと格下げされることとなり、息子共々、現在の奈良県五條市・大和国宇智郡の貴人邸の廃墟に幽閉され、そのまま幽閉先にて775年(宝亀6年)4月27日に他界されています。

そしてさらに驚くことになんとぉぅ!!息子も若くして同じ日に亡くなっていることから、井上皇后と他戸親王の死には不自然な点が多くのこり、現在までの通説では藤原式家による陰謀説が濃厚とされています。

その説を裏付けるかのうように母子の死後、天変地異がたびたび巻き起こり、夫であり父でもある光仁天皇の治世は大混乱に至り、さらに陰謀を企てたとされる藤原式家の藤原百川(ふじわらのももかわ)も38歳の若さでこの世を去っています。

これらの怪事にたいして世間では『母子が龍に姿を変えて大暴れしている』という噂までたったほどでした。

そしてついに朝廷も母子の怨霊の仕業に間違いないと考え、急遽、井上皇后に「御霊大明神」の位を贈って陵墓を築いて祭祀したところ、嘘のように天変地異がなくなり平和が訪れたとのことです。

このできごとから、以降、井上皇后には「国家安泰や厄災消除のご利益がある」とされ、篤い信仰が寄せられることになります。

他戸親王

他戸親王は「おさべしんのう」と読みます。上記、井上内親王(皇后)の息子(皇子)です。父は白壁王(のちの光仁天皇)になります。

772年(宝亀3年)、上記の母親である井上内親王が夫である天皇の「白壁王」を呪ったという無実の罪をきせられ、内親王共々、皇室の家系から締め出されて一般人になり下がってしまいます。

現在では、藤原氏の陰謀である説が濃厚とされていますが、この説の根拠の1つとして、井上内親王および他戸親王の死後、台風や地震、疫病などの災害・厄災が相次いだそうです。

そこで朝廷は、母子の怨霊の仕業に違いないと考えて、井上内親王と他戸親王の怨霊を鎮めるために井上御霊社(御霊神社の前身)なる社を築いて祭祀するのです。

事代主神

事代主神は「ことしろのぬし」と読みます。父親は大黒さんや縁結びの神として有名な大国主大神です。

事代主神は世間一般的には七福神の「エビス様」として商売の神様として崇められています。

記紀神話の記述によれば「魚釣り」をしていたことが記されており、以降は漁業の神、海神としても崇められることになります。

上述、父親である大黒天(大黒さん)と合わせて商売繁盛の神として捉えられることが多いです。

御霊神社のご利益

  • 縁結び
  • 家内安全
  • 商売繁盛

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御霊神社の見どころ

まず、境内地図(MAP)のご紹介から・・

御霊神社の境内はそれほど広くはありません。鳥居と門をくぐると、目前に拝殿とその後方の本殿が目視できるほどです。

御霊神社の参拝方法

  • 二拝二拍手一拝

御本殿(八神殿)

御霊神社の御本殿は、天皇鎮守のために8柱の神を祀っていることから、別名で「八神殿」とも呼ばれます。御霊神社には井上皇后を主祭神として祀り、さらにその皇后を守護するかのように8柱の神が鎮座することから8神とされているものと考えられます。

御本殿の御垣の内側には西殿と東殿が配され、さながら本殿を守護するような様相が見受けれらます。

なお、東西殿と本殿とで鎮座される神が異なることから、ご利益もそれぞれ異なります。

本殿と御祭神

井上皇后(本殿中座)
他戸親王(本殿)
事代主神(本殿)

ご利益:国家安穏、家内安全

西殿と御祭神

伊予親王(西側社殿)
橘逸勢(西側社殿)
文屋宮田麿(西側社殿)

ご利益:家内安全、会社繁栄

東殿と御祭神

早良親王(東側社殿)
藤原広嗣(東側社殿)
藤原大夫人(東側社殿)

ご利益:旅行安全、交通安全

拝殿

拝殿は様々な神事が執り行われる場所でもあることから、奥の上段の間には太鼓や神具の幣(ぬさ)、奉納されたお酒などが見えます。

運気が上昇するとされる緑色の絨毯が敷かれ、団体でもご祈祷が受けられるように大人20人ほどが収容できるぐらいのスペースが広がっています。

格天井に金色の提灯が吊るされて、右上の欄間には「豊楽(ほうらく)」、左側の欄間には「雲拝」と墨書きされた額が飾られています。豊楽とは”生活を楽しむこと”の意味です。

中央の欄間には「八神殿」と大きく墨書きされた額が飾られていますが、”八神殿”とは、天皇を守護する8柱神を祀る神殿という意味合いがあります。

手水舎

御霊神社の境内にも手水舎がありますが、どこか宮司の思い入れや趣向が感じられる手水舎です。

洗心」と書かれた手水の所作が丁寧に記載された案内板が掲げられ、他に、「さとし ”火と水は一の神”」などと記された紙が貼られています。

神社の境内では珍しく、近づくと自動で水が出ます。いきなり水が飛び出てきやがるので、さぞかしビビっちまうことでしょう。

龍の口から水がチョロチョロチョロQ〜と滴れ落ちてきます。

出世稲荷社

 

出入り口となる門をくぐって左手にみえる神社です。後述、祓戸四柱神の右隣にあります。

  • 創建年:1950年(昭和25年)
  • 御祭神:稲荷五柱大神(大国主命・天之宇受女命・猿田彦命・宇迦御魂命・保食命)
  • ご利益:縁結び
  • 例祭:毎年4月28日

「出世稲荷」とは、稲荷神社の総本社にあたる伏見稲荷大社の御祭神「稲荷大神」を祀った神社です。

創祀は、関白秀吉が1587年(天正15年)に自身が精魂込めて造営した聚楽亭(じゅらくてい)に稲荷大神を祀ったのが起こりです。

秀吉死後は徳川家(家康)が隆盛し、豊臣家の衰退とともに出世稲荷も衰微していきますが、その過程で聚楽亭付近の「京都市上京区千本通旧二条下ル聚楽町」へ遷されています。

現在、出世稲荷社(神社)は、日本全国に10社ほど確認されていますが、おおむねどの社もその地域の著名人の出世にアヤかった由緒を持っています。

おそらく信長公の付き人から天下人にまで上り詰めた秀吉公にアヤかった話が日本各地に飛び火して、その地域の歴史や著名人と関わりのあった社(神社)が合わさって、のちに「出世稲荷社」と呼ばれるようになったと推測されます。

なお、一般的に「出世稲荷神社」といえば、上述の世界遺産・二条城付近に位置する「京都上京区の出世稲荷神社」のことを指しますが、二条城が世界遺産の指定を受けたことによって観光客が増加し、それに伴った都市化計画によって引っ越しを余儀なくされています。

現在は、2012年(平成24年)7月に京都三千院近くの「京都市左京区大原来迎院町」へ移転しています。

御霊神社の出世稲荷社は、『縁結び』のご利益で知られていますが、本来、出世稲荷社には次のような10種類ものご利益があるとされています。

出世稲荷の10種類のご利益
  1. 出生開運:(しゅっせかいうん/開運することにより出世できる)
  2. 衣食住:(いしょくじゅう/衣食住に困らない)
  3. 名望・地位:(めいぼう・ちい/人望によって名声を集め、確たる地位を得られる)
  4. 衆人愛敬:(しょにんあいぎょう/地位に関係なく誰にでも好かれることができる)
  5. 商売繁昌:(しょうばいはんじょう/商売が繁昌する)
  6. 延命長寿・病気平癒:(えんめいちょうじゅ・びょうきへいゆ/延命長寿を得ることで病気も平癒に至る)
  7. 千客万来:(せんきゃくばんらい/数えきれないほどのお客さんが次々に訪れる)
  8. 武運長久:(ぶうんちょうきゅう/一生涯、不自由なく武人として終えることができる)
  9. 善知識:(ぜんちしき/たくさんの善き人に知り合えることで善き生涯を送ることができる)
  10. 財宝招福:(ざいほうしょうふく/金銀財宝に恵まれた上、多幸にも恵まれた人生を送ることができる)

御霊神社の出生稲荷の創建年に関しては、ならまちを代表する歴史書でもある「奈良風土記(山田熊雄著)」によれば、御霊神社の出世稲荷も、やはり上述した京都二条の出世稲荷の分神を1950年(昭和25年)に勧進して祀ったとの記述がみられます。

末社「若宮社」

”若宮”とは?

「若宮」とは、一般的には本殿でお祀りされている御祭神に関わり合いの深い神様をさしますが、たいていの場合、主祭神の御子神が祀られています。これを”若子の宮”と書いて「若宮」と呼ばれます。

その他、少数例としては非業の死を遂げた貴人などの怨霊を鎮めるために、主祭神の御神力をもって祀りたてた社も若宮社と呼ばれます。

  • 御祭神:菅原道真
  • ご利益:学問向上、諸道上達
  • 例祭:毎年7月25日

末社とは、「まっしゃ」と読み、本殿に鎮座する主祭神と関わりのある神様を祀った、摂社(せっしゃ)の1つ下の格を持つ社(神社)です。

若宮社は御霊神社だけにある特有の神社ではなく、日本全国に多数、存在する神社です。例えば、奈良にある若宮社の中では春日大社境内にある「春日若宮神社」が有名です。

春日若宮神社といえば、例年12月17日に執り行われる国の重要無形民族文化財にも指定されている大祭「春日若宮おん祭」が特に有名です。

なお、御霊神社の若宮社では菅原道真公が祀られていますが、主祭神と関係性については不明です。

祓戸四柱神

祓戸四柱神とは、一般的に神社の出入口となる鳥居の近くに祀られている例がほとんどです。御霊神社でも通例どおり、出入口となる門を入ってスグ左側に祀られています。

御霊神社の正しい参拝方法としては、まず、祓戸社へ参拝してから御本殿へ参拝するのが正式とされているようです。ただし、ほとんどの方が祓戸社を通りすぎて御本殿(拝殿)へ向けて直行していきます。

ちなみに「祓戸」とは神社の「戸(出入口)」付近にある”祓い所”という意味合いがあります。祓い所と呼ばれる理由は次のような”祓い(罪・穢れを祓い清める)”に関してのご利益を持った4柱の神様が祀られているからです。

  • 御祭神:祓戸四柱神、市杵島姫(いちきしまびめ)
  • 例祭:大祓式(6月3日、12月31日)
祓戸四柱神

  1. 瀬織津姫(せおりつひめ)
  2. 気吹戸主(いぶきとぬし)
  3. 速秋津姫(はやあきつひめ)
  4. 速佐須良姫(はやさすらひめ)

神社には入り口に鳥居があって鳥居をくぐれば大抵、手水舎や祓戸もしくは祓社があります。

参拝者は、本殿の主祭神の前に立って参拝(祈願)する前に、まずは、身に付いた穢れを祓って身を清めてから本殿へと進むのが正式と言える参拝方法です。

祓戸四柱神は何の神様?

瀬織津姫=滝もしくは瀬(川)の神
気吹戸主=風の神
速秋津姫=河口の神
速佐須良姫=潮流と潮渦を司る神

市杵島姫が祀られている理由は定かではありませんが、祓戸四柱神は水を司る神であることから同じ水に関してのご利益を持つ市杵島姫が祀られているものだと推定されます。

水は時に災害をもたらしますが、人間の生活には欠かせない大自然の恵みであり、身体を清めてくれるものであります。

水子神社

御祭神
  • 蛭子大神

水子神社という名前を聞くのがはじめての方も多いと思いますが、早い話が水子にならないように祈願するための神社です。

通常は「水子供養」として、お寺の境内や道バタにある「水子地蔵」が有名ですが、神話では蛭子神を崇めることで水子供養や水子をなくすことができるされています。

これは今ではあまり聞くことのない風習ですが、数え年7歳までの子は「神の子」と云われ、7歳までに落命した子は「神のもとへ還った」ということで葬式を行わずに水子としてお祀りされた時代がありました。(現在でもこの風習が残されている地域もあります。)

祭神として蛭子神が祀られている理由は、蛭子神こそがのぉあんと!「捨て子」だったからです。

捨て子になった理由は、蛭子神が異形の赤子として生まれてきたからです。

詳しくは、蛭子神の父神である伊邪那岐(イザナギ)神よりも、妻である伊邪那美(イザナミ)神が先にイザナギ神に声をかけたため、足の立たない不遇の子が産まれてしまい、その結果、その子供は流されてしまうのです。

その子供こそが蛭子神であり、蛭子神を祀り崇めることで、自らの子も水子にならないご利益を賜ることができるとされています。

なお、一説ではこの蛭子神は名前を漢字で表記すると”蛭子(エビス)”とも書かれることから、エビス神とはこの蛭子神のことを指すとも云われています。

このエピソードに間しては、上記の話の続きで流された子供、すなわち蛭子神は「兵庫県の西宮浜」に流れ着いたとされ、その後、近くに社が築かれてお祀りされたそうです。そして現在でもこの社は存在し、名前を「西宮えびす神社」と呼称し、主祭神は”事代主命”ではなく、”蛭児(=蛭子)神”となっています。

話はそれますが、現在の西宮えびす神社は日本全国のえびす神社の総本社であり、毎年「十日戎」で執り行われる「福男」はニュースでもピックアップされるほど有名な恒例行事でもあります。

狛犬の足止め祈願

御霊神社には江戸時代中頃から続く、ちょっとした風変わりな占いというか、願掛け方法が伝えられています。

古来、ならまちでは神隠しにあって家に帰れなかったりすることのないように、狛犬像の足に紐を「叶結び」で結びつけて願掛けする方法が伝えられています。

御霊神社の願掛け方法

  1. 社務所にて願掛けの紐を購入する(値段100円)
  2. その紐を「叶え結び」で狛犬の足に結びつける
「叶え結び」とは?

叶え結びとは、オモテ面を見れば口の形状に見えて、ウラ面から見れば十字形に見えることから「叶」の文字を意味し、”願いが叶う”に通じる縁起の良い結び方であるとされています。

「叶え結び」の結び方

 

足止め祈願のご利益

狛犬の足に紐を結びつけることによって「足を縛って歩かせない」の意味合いを持ち、主に以下のようなご利益を賜ることができるとされています。

  • 縁結び(良縁結び)
  • 神隠しに会わない
  • 家出をさせない
  • 仮に家出してしまっても足が止まって帰ってくる
  • 悪所通いをさせない(悪所=昔で言えば遊郭(ゆうかく)。現代で言えば・・ムフフ❤️)
    ..etc

恋みくじ

鳥居(門)をくぐると正面に拝殿が見えますが、その拝殿の賽銭箱のとなりに、おみくじが設置されています。

上述したように御霊神社は縁結びのご利益があることから、縁結びにちなんだ「恋みくじ」なる少し風変わりなおみくじが置かれています。

この恋みくじは、おみくじと紙の和人形がセットになっており、和人形の方はお守りになります。

恋みくじの内容は、「恋の歌」や「愛情運」が書かれています。恋の歌は、詩のような歌詞にような恋のことが書かれています。愛情運には、相性の良いお相手❤️のタイプなど、恋愛に関するアドバイスが書かれています。

なお、御霊神社では2018年8月に境内におみくじを結ぶ場所が設置されましたので、おみくじを引き終わったあとは結んで帰るのも良し、持ち帰るのも良し、あなたのお好みの方法を選択してくだすぅうわぁい。ウフ

  • 初穂料(値段):1回200円

八尋殿

境内にはお茶会の席も用意される「八尋殿(やひろどの)」と呼称される建物があります。八尋殿とは、「大きな御殿」という意味合いがあります。

確かに御霊神社の境内の中では社務所と同じくらいの大きさを誇ります。

通常、一般の方には縁のない場所となりますが、御霊神社ではお茶会が催されていますので、その時に入ることができます。

入口付近には「千度石」と刻まれた石碑が立っています。通例では「千度石」ではなく、「百度石」と刻まれていることが多いのですが、千度石と書かれた石碑は大変、珍しいものとなります。

その昔、実際に千度参りなどの風習がこの御霊神社であったのでしょうか。

宝庫

いかにも江戸時代の蔵っ!とも言えるような、昔ながらの佇まいを見せる蔵があります。ねずみ小僧が今にも盗みに入りそうな時代劇に登場するような蔵です。なお、宝庫であるにも関わらず扉には錠がないことから、現在では宝庫として使用されているかは謎です。空調機があることから民家として利用されているのかも。ウホっ

例大祭渡御

御霊神社では、例年10月12日に例大祭の宵宮祭、10月13日に本祭が執り行われています。

御霊神社の例大祭の一番の見どころとなるのが渡御式(とぎょしき)の行列です。

渡御式では、神輿や獅子頭、天狗や平安装束を着用した60余名の行列が氏子地域を練り歩きます。

ただし、御霊神社の氏子地域は、なっ、なっ、のぉあんとぉぅ!!70ヶ町約5000軒もあるため、かなりの広範囲になります。したがって、1回の例大祭ではすべて周りきれないのが本音だそうです。

そこで、来年と当年を合わせて2年かけて行列が巡幸するコースを設定したり、もしくは行列を2つに分けて別々の地域を周るようにするなどの工夫をしているようです。

宵宮祭の日程
  • 16時30分〜 オハケ(神棚奉納)・福引き抽選会
  • 夜店(屋台)は18時〜20時半まで
例大祭の日程
  • 祭典:午前10時〜開始
  • 渡御式:12時〜
  • 獅子舞奉納:15時頃〜

いずれも雨天は中止となります。

なお、稚児行列に参加してみたいお子さんは例年9月30日くらいまで受け付けされていますので、問い合わせしてみてください。

お茶会

稀に、御霊神社では境内にてお茶会が開催されています。参加条件は特になく誰でも気軽に参加できます。

  • 開催時間:11時30分〜15時30分※雨天中止
  • 参加費:700円
  • お茶会の開催場所:御霊神社境内

お茶会では、抹茶とお菓子をいただきながら、御霊神社にまつわる話や、ならまちの歴史などを聞くことができます。

枝垂れ桜・八重桜

境内正面の拝殿から参道を右奥へ進むと、しだれ桜や八重桜が自生しています。見頃は3月下旬から5月上旬くらい。

牡丹

桜の季節が過ぎ去ると休む暇もなく今度は、牡丹の季節がやってきます。

御霊神社の境内では4月上旬〜5月上旬(GW期間ぐらいまで)に牡丹の見頃を迎えます。

あじさい

御霊神社の境内には、少数ですが紫陽花も自生しています。例年、6月上旬〜6月中旬にかけて見頃を迎えます。


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御霊神社の営業時間(境内参拝可能時間)

営業時間(開門閉門時間):9:00~17:00くらいまで

定休日:年中無休

御霊神社の歴史(年表)・由来

御霊神社の歴史は古く、800年(延暦19年/奈良時代)、桓武天皇の勅命によって現在の奈良市井上町付近に創建されています。

御霊神社が建てられた場所は元興寺の寺領であり、かつては御霊をなぐさめるための御霊会(ごりょうかい)が定期的に執り行われたり、室町時代には猿楽が催されたりするなど、隆盛を極めていました。

しかし1451年(宝徳3年/室町時代)に土一揆が勃発し、その影響で元興寺が焼失することになりますが、その延焼によって御霊神社(井上御霊社)も焼失してしまいます。

以後、定かな年数は不明ですが、元興寺五重塔跡もしくは元興寺南大門跡となる元興寺境内南西の場所(奈良市薬師堂町24/現在地)に復興されることになります。

現在では、奈良県下最多となる氏子を抱える氏神として、変わらず篤い崇敬が寄せられています。

年表でみる主祭神「井上内親王(井上皇后)」の歴史と歩み

721年(養老5年/奈良時代)

斎内親王(さいないしんのう)に就任
※斎内親王=一般的には「斎宮(さいぐう)」の名称で知られている。天皇即位の折、天皇の名代として伊勢神宮や賀茂神社に遣わされた未婚の内親王または女王のこと。

727年(神亀4年/奈良時代)

伊勢皇大神宮(内宮)へ出仕

744年(天平16年)

弟の安積親王(あさかしんのう)の薨去(死去)により、斎王の任を解かれ、退下する

770年(宝亀2年/奈良時代)

詔により12歳で他戸親王が皇太子に任ぜられる

771年(宝亀3年/奈良時代)3月

冤罪(えんざい/=無実の罪)により、皇后の身分を剥奪される

771年(宝亀3年/奈良時代)5月

他戸親王が皇太子の身分を剥奪される

773年(宝亀4年/奈良時代)10月

罪により奈良県(大和国)の宇智郡(うちぐん)に幽閉される

775年(宝亀6年/奈良時代)

井上内親王、母子とも(子=他戸親王)に己丑(4月27日)に崩御。

776年(宝亀7年/奈良時代)3月

宮中の怪事を調査するために僧侶600人に金剛般若経を読ませる

776年(宝亀7年/奈良時代)12月

日本全国の国分寺でも金剛般若経を読ませる

777年(宝亀8年/奈良時代)12月

井上内親王を改葬して『御墓』と称して守護する

781年(天応元年/奈良時代)4月

早良親王が皇太子になる

785年(延暦4年/奈良時代)9月

早良親王、藤原種継暗殺に加担したという無実の罪をきせられ、皇太子の身分を剥奪される

785年(延暦4年/奈良時代)10月

早良親王、淡路に流刑されるが、途中の河内国高瀬橋付近(現・大阪府守口市の高瀬神社付近)で崩御

798年(延暦17年/平安時代)3月

早良親王、大和の八嶋陵(やしまりょう)に改葬(分骨)される

800年(延暦19年/平安時代)7月

葛井親王(ふじいしんのう)を遣わして早良親王の徳や功績をたたえて『崇道天皇(すどうてんのう)』と追称(ついしょう/=死後に高名を贈る)する。
井上内親王、内親王を廃して『皇后』と称す。また、御墓を『山陵(さんりょう/=天皇の墓)』と称す。

1451年(宝徳三年/室町時代)

周辺で土一揆が勃発する。御霊神社はもとより元興寺金堂や堂宇が火災で焼失。井上郷(奈良市井上町)の井上御霊社も焼失する。

1523年(貞観5年/戦国時代)

平安神泉苑(京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166)において御霊会を修する。疾病を祓い八柱の怨霊を手厚くなぐさめる。

御霊神社へのアクセス(行き方)

御霊神社までのアクセス方法としては、徒歩がメインになります。理由は、御霊神社が”ならまち”のほぼ中心部に建っているからであり、その”ならまち”自体が車が通行するのでさえもやっというくらいのコノヤローなほど狭い道幅になるからです。

以下では、JR奈良街と近鉄奈良駅の双方からのアクセス方法でご紹介します。

JR奈良駅から御霊神社まで(徒歩)

JR奈良駅の東口を出たのち、三条通を通って、後述の「もちいどの商店街」へ入ります。商店街を出たら「元興寺」を目指して進みます。「ならまち資料館」の裏側あたりに位置します。

  • 所要時間:約20分
  • 距離:1.5㎞

近鉄奈良駅から御霊神社まで(徒歩)

近鉄奈良駅から東向商店街を抜けて、三条通を超えて「もちいどの商店街」もさらに抜けると「ならまち資料館」があります。「ならまち資料館」の裏手に「世界遺産・元興寺」と隣接する形で御霊神社があります。

  • 所要時間:約15分
  • 距離:1.2㎞

御霊神社の最寄りバス停

  • 奈良交通バス「田中町バス停」

JR奈良駅および近鉄奈良駅から「市内循環バス」へ乗車して「田中町バス停」で下車。下車後、北側へ徒歩約4分進むと「御霊神社」と書かれた大きな石碑が見えます。ウフ

御霊神社のお問い合わせ先

御霊神社社務所

住所:奈良市薬師堂町24番地
電話番号:0742-23-5609

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