春日大社・三十八所神社|若宮十五社巡り【第7番納札所】

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春日大社・三十八所神社:若宮社 摂社

読み方

さんじゅうはっしょじんじゃ

創建年

1146年(久安2年)

※後述しますが1146年(久安2年)には三十八所神社に、社殿が3つ存在していた記録があります。しかし1663年(寛文3年)の記録には現在の規模であることが記されています。

建築様式(造り)

流造

ご祭神

  • 伊弉諾尊(イザナギノミコト)
  • 伊弉冊尊(イザナミノミコト)
  • 神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト)=神武天皇
ご例祭

4月3日

三十八所神社の歴史・由来

三十八所神社は、若宮社の中社(摂社)として創建された神社です。

若宮社は春日大社の境内社ではありますが、社格としては春日大社の本社と同格の扱いです。

そこで「若宮社の摂社」として三十八所神社が創られました。

若宮神社の創建が1135年(長承4年)。

平安末期の文献『舊記(=旧記)勝出』に、三十八所神社の創建は1146年(久安2年)であると記録されています。

三十八所神社は若宮十五社めぐりの納札社ですが、他の末社に比べて規模が大きく、しっかりとした社殿が特徴的です。

実は書籍を紐解くと、創建当時、三十八所神社は3つの社殿が存在していた……というよりも、三十八所神社の他に2つの社殿があったことが記録されています。この社殿とは、

  • 三十八所神社
  • 吉野水分社(よしのみくまりしゃ)
  • 勝手神社

以上の3社です。


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吉野山の水神で若宮社を守護する摂社群だった

若宮社は元より水の神のお社として創建された神社です。

この若宮社を守護するため、吉野川の水源を守護する吉野山の3神社を勧請したのが、三十八所神社のはじまりです。

三十八所神社=仏教の護法神

三十八所神社は、吉野山金峯山寺(きんぶせんじ)蔵王堂に祀られている仏法守護神を勧請したものです。

吉野山の三十八神のはじめは、役小角が勧請したものです。

春日大社と興福寺とは強い結びつきがあり、また興福寺は吉野山の山岳信仰と結びついていたため、春日大社に三十八所神社を勧請し、若宮社の守護としたと考えられます。

吉野水分社(よしのみくまりしゃ)

現在も吉野山中に祀られる「吉野水分神社」の勧請と考えられます。

ご祭神は天之水分神(アメノミクマリノカミ)という、水の神です。

勝手神社

吉野の勝手神社もまた、吉野川を守護する、大峰山の鎮守社の1つです。

ご祭神は現在、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)ですが、1712年(正徳2年)の文献である『和漢三才図会』には、ご祭神は愛鬘命(ウケリノミコト)という神であったことが記載されています。

「鬘」=「葛城」の音が変化したものと考えられており、愛鬘命は葛城山の神「一言主神」の子であるとされます。

また愛鬘命は別名を勝手明神とも呼ばれます。

江戸時代初期には現在のご祭神に変化ッ

1663年(寛文3年)、『神社記』には、三十八所神社のご祭神として伊弉諾尊、伊弉冉尊、神日本磐余彦命の3柱の神が記されていて、他2社の記録はありません。

室町時代には3つの摂社が合祀され、現在の形に近づいたと推定されています。

この変化には、春日大社のご本殿でお祀りされている春日大神=天照大神である、とする平安時代以降の信仰が影響していると考えられています。

なお、ご祭神の変化について、「明治時代に、神仏分離が行われたために、仏法の守護神である元々の三十八所神社の性格を変化させなくてはならなかった」とする説がありますが、実際のご祭神の変更は江戸時代初期には行われていたことがわかっていますので、神仏分離は関係なかったであろうことが推定されます。


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三十八所神社の御利益

三十八所神社の御利益は、「正しい勇気と力を授けてくださる」と言われています。

ご祭神は神話上、日本の始祖となった伊弉諾尊と伊弉冉尊の2柱と、神日本磐余彦命という神様ですが、これは神武天皇のことを指しています。いずれも日本を正しく、かつ勇気をもって切り開いた神様ということで、勇気と力の神、また開拓、開発の御利益があるとされています。

三十八所神社は若宮十五社めぐりの第7番納札社

三十八所神社は、春日大社で行われる巡礼プログラムの1つ「若宮十五社めぐり」の、第7番納札社に指定されています。三十八所神社は若宮十五社めぐりの中でも、建物がしっかりしている神社の1つですので、他の若宮社末社との違いを楽しみつつご参拝されることをおすすめします。

上の写真では、中央列、上から3番目が、三十八所神社の御朱印です。

三十八所神社の場所

 画像は春日大社HPより

三十八所神社は、若宮神社の少し南側に位置しています。

若宮十五社めぐりをする場合は、葛城神社の次に訪れる場所であり、葛城神社からは直進、徒歩1分で到着します。

春日大社ご本殿から見ても南側にあたり、ご本殿からは徒歩3分ほどです。

関連記事: 葛城神社

三十八所神社へ参拝できる時間

  • 参拝時間:24時間参拝可能
  • 定休日:なし(年中無休)

三十八所神社の隠れた見どころ

山田道安の灯籠

この三十八所神社の左脇には、永禄5年に山田道安が奉納されたとされる「山田道安の灯籠」と呼称される灯籠が置かれています。

山田道安(やまだどうあん)とは、画家でありながら大和山田城主でもある人物です。

1576年(永禄10年)に、だんご三兄弟・・おっと、三好三兄弟!!と松永弾正の戦いが東大寺境内にまで及び、その結果、東大寺大仏殿や大仏さんが焼け落ちるという最悪事態に至ります。

この惨状を見かねた山田道安は翌年の永禄11年、大仏殿および大仏さんの修理作業に乗り出します。

しかし残念ながら戦国時代という不幸な背景が重なり、大仏殿再建には遠く及びませんでしたが、道安の働きによって焼け落ちた大仏さんの顔の修復が成り、さらに簡易的な大仏さんを覆う屋根(覆屋)が造営されるなどの修理が行われています。

これにより大仏さんは、かろうじて大仏の像容を回復し、屋根が設置されたことにより露座だけは免れています。(しかし後にこの覆屋も程なく倒壊)

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