春日大社・兵主神社|若宮十五社巡り【第3番納札所】

スポンサードリンク

春日大社・兵主神社:若宮社 末社

読み方

ひょうずじんじゃ

建築年

不明

建築様式(造り)

春日造

ご祭神

  • 大己貴命(オオナムチノミコト)
ご例祭

8月29日

兵主神社は少々見落としやすい神社

兵主神社は、少し見落としやすい場所にある神社です。

若宮十五社めぐりで訪れる方であれば注目されるとは思いますが、そうでなく参拝される場合は、ご参拝せずに通り過ぎてしまうこともあるかもしれませんので、多少注意が必要です。

場所は三輪神社から若宮神社へ通じる道の途中にありますが、隣に建つ南宮(なんぐう)神社とともに、歩道から見て多少小高い位置に2社が並んで、ひっそりと建てられています。2つ並んだ神社のうち、左側が兵主神社です。

歩道上に、若宮十五社めぐり等、参拝のための小さな玉串台が置かれています。

これも兵主神社と南宮神社それぞれのものがありますので、参拝時、間違えないようにしましょう。

といっても看板が立っていますので玉串台はすぐにわかります。


スポンサードリンク -Sponsored Link- 





兵主神の歴史は古い

春日大社、若宮社末社であるところの「兵主神社」に祀られているのは大己貴命で、この末社自体は非常に小さく目立たず、さしたる歴史が語られることのない末社です。

ただし、兵主神社そのものの歴史は非常に古いので予備知識として持っておいても良いかもしれません。

奈良の兵主神社といえば、当該の春日大社末社ではなく、奈良県桜井市にある「穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)」をご存知の方もおいでかもしれません。

この穴師坐兵主神社は、そもそも垂仁天皇2年に奈良の地に祀られたと伝えられています。

垂仁天皇は第11代天皇で、神話伝説上の人物とする説もある非常に古い時代の天皇です。即位した年は推定、紀元前29年。

その後、西暦70年に崩御するまで、実に99年間も天皇として日本を治めたと言われています。

つまり穴師坐兵主神社が初めて祀られた「垂仁天皇2年」とは、紀元前28年のことであり、兵主神社という存在の歴史の古さをうかがわせるのです。
(なお穴師坐兵主神社については、垂仁天皇2年の他、景行天皇58年(=西暦128年)に祀られたという話も残されています)

その後、若宮社末社のの兵主神社は、この奈良の穴師坐兵主神社から勧請されたのでは……とする説もありますが定かではありません。

「兵主神=大国主命!」建御名方命?須佐之男命?カッパ!?蚩尤!?

兵主神社のご祭神「大己貴命」は「大国主命」の別名です。また、そもそも奈良の穴師坐兵主神社に最初に祀られたのは「八千矛神(やちほこのかみ)」であるという記録があり、八千矛神とはすなわち大国主命のこと。しかし、兵主神の正体にはまだまだ奥深いものがあるようです。

「兵主」の文字は実は中国の古文書『史記 封禅書』にその名前を見ることができます。『史記』の成立は紀元前91年頃であると考えられています。『史記 封禅書』に登場する「兵主」とは、戦の神で、「蚩尤(しゆう)」という別名も持っています。蚩尤は黄帝の敵となった記録から逆賊、悪い神として扱われることが多いですが、戟や矛といった武器を開発した武神の一面も持ち、日本へは渡来人である弓月君(ゆづきのきみ。秦氏の先祖)が持ち込んだと考えられてきました。

そして、蚩尤が日本へ渡った時に「兵主」あるいは「兵主部(ひょうすべ)」という名で知られることになりました。「ひょうすべ」は「妖怪で、カッパの一種、きゅうり好き」と聞いたことがある人もいるかもしれません。

蚩尤の見た目は「人の身体に牛の頭」ですが、これを、やはり秦氏が日本へ持ち込んだと言われる「牛頭天王」と同一視する向きもあり、牛頭天王は須佐之男命と同一視されていますから、ある意味で兵主神とは須佐之男命とのつながりも持っている神であると言えます。一説によれば京都の八坂神社にお祀りされる牛頭天王もきゅうり好きとか、そのために八坂神社の神紋はキュウリ似のモッコウであるとか……。などなど、蚩尤=牛頭天王=カッパ、という説も濃厚に残されています。

大国主命と須佐之男命は同一の神ではありませんが、その性格は「武神」として共通しています。神話伝説上、どこかで交差してしまったのでしょうが、いずれにしても兵主神社のご祭神が武神であることに間違いはありません。

また、これらの他に、兵主神はタケミナカタノカミと同一視されることもあります。実際に古文書解析の途上で、春日大社の兵主神社と、長野・諏訪大社との関係性を指摘する声もあり、兵主神にはまだまだ解明されていない部分がありそうです。


スポンサードリンク -Sponsored Link- 





兵主神社の御利益

兵主神社の御利益は、「勇気を授けてくれる」と言われています。ここまで見てきた兵主の神の性格をかんがみると、武神でありますから戦いのための勇気や力を授けてくれるものと推察することができます。

大己貴命にしても蚩尤にしても、戦いの神としては非常に強い神様です。受験や出世など勝負ごとを抱えていらっしゃる皆様は、ぜひ尚武の御利益をお祈りしてまいりましょう。

兵主神社は若宮十五社めぐりの第3番納札社

兵主神社は、春日大社で行われる巡礼プログラムの1つ「若宮十五社めぐり」の、第3番納札社に指定されています。上の写真では、最右列、上から2番目の御朱印が、兵主神社の御朱印です。

兵主神社が建っているのは歩道から見える高台ですが、歩道脇、灯篭の前に玉串札を捧げる玉串台がありますので、こちらに札を上げてご参拝致しましょう。

兵主神社の場所

 画像は春日大社HPより

上の「若宮十五社めぐり」の地図では、3番が兵主神社です。4番の南宮神社とは横並びですので、向かって左側であることをお間違いなく。

春日大社ご本殿からは徒歩2分と近い距離です。ただし若宮十五社めぐりで訪れる場合は、若宮神社→三輪神社→兵主神社、と3番目に参拝するのが順序通りとなります。三輪神社の位置は上の地図のとおり、三輪神社から兵主神社へはすぐお隣です。

兵主神社へ参拝できる時間

  • 参拝時間:24時間参拝可能
  • 定休日:なし(年中無休)

スポンサードリンク -Sponsored Link-



当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。