春日大社・船戸神社|水谷九社めぐり【第9番納札社】

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春日大社・船戸神社:春日大社 末社

読み方

ふなどじんじゃ

建築年

不明

建築様式(造り)

春日造

ご祭神

  • 衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)
ご例祭

6月5日

興福寺大乗院からお遷しされた鎮守社

船戸神社は、元々、興福寺の塔頭(たっちゅう。付属寺院)であった、別名で「船戸屋(ふなどや)」とも呼ばれた「大乗院」の祈祷屋(=寺僧詰め所)の鎮守社で、塞の神(さいのかみ)を祀る古社でした。

大乗院は、平安時代に興福寺に数多く存在していた子院の中でも、門跡(もんぜき)と呼ばれた最も大規模な子院のうちの1つです。

門跡とは、皇族や摂関家が住職を務める、子院の中で最も寺格の高い寺院のことで、興福寺には「一乗院」と「大乗院」の2つが門跡として威勢を振るいました。1087年(応徳4年)に藤原政兼の子であった隆禅が大乗院を開き、その後も大乗院の門主は摂関家、将軍家から排出されたので、興福寺の子院の中では廃仏毀釈に至るまで最大勢力を保ち続けた存在であると言えます。

大乗院は1869年(明治2年)、廃仏毀釈に伴い、九条尚忠の子であった隆芳法師が還俗することで解散となります。ちなみに大乗院の跡地が、現在の奈良ホテルです。大乗院の庭園の一部が現在も国の名勝、「旧大乗院庭園」として残されています。

船戸神社は、そんな大乗院の鎮守を長年つとめた神社でしたが、廃仏毀釈を機に春日大社へと移転され、以降、現在の地にお祀りされています。

ご祭神「衝立船戸神」は伊弉諾尊の杖から生まれた神様

船戸神社のご祭神である「衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)」は、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の杖から生まれた神様です。

伊弉諾尊は、妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)が死んでしまった後、彼女を追って黄泉国へ行きます。そして、国作りがまだ完了していないから、黄泉国から戻ってくるよう妻に訴えますが、妻は「よもつへぐい」(=黄泉国のものを食べること)をしたためもう戻れない、自分の姿を見てもいけない、そのまま帰れと言います。

伊弉諾尊は我慢できずに妻の部屋へ侵入し、そこで腐って蛆だらけになった妻の姿を見てしまいました。伊弉冉尊は怒り、伊弉諾尊を追いますが、必死の抵抗を見せた伊弉諾尊は現世に帰って、黄泉国との間に岩戸を立て、黄泉の軍勢から自分と現世とを守ります。

現世に戻った伊弉諾尊は、黄泉の穢れ(けがれ)を洗い流すため、真っ先に禊(みそぎ)を行うことにしました。そこで最初に、黄泉国の地面を突いた杖を投げ捨てるのですが、この時、捨てられた杖から生まれた神様が、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)です。

衝立船戸神は悪いモノを寄せ付けなくする結界の神様

「船戸神(ふなどのかみ)」は「岐神」と表記されることもあります。「岐」とは「分岐点」の「岐」。また「衝立」は「ついたて」とも読むとおり、分け隔てるものであることを示す言葉です。

こうして神の名から推測できるとおり、衝立船戸神は、世の中にはびこる悪しきモノを寄せ付けなくするための、結界の神様です。黄泉国から戻った伊弉諾尊は、衝立船戸神という強力な結界を敷くことによって、黄泉の穢れを現世に持ち込まないよう断ち切ったと言えます。

さて、ところで、古代の日本における「悪いモノ」とは一体、何のことだと考えますか?

それは疫病です。疫病は古代、祟りや、天皇などえらい人の悪い行動の報いとして起こると考えられてきましたが、湿気の多い日本においてはひとたび起こると大勢の人を死に追いやる、最も避けたいものでもありました。

そこで結界を敷くことによって、疫病の発生を抑えようという思考に至ったわけですが、古代では結界を敷くために何が行われたかというと、2本の柱を地面に立て、そこに注連縄を張ることで結界となしました。古代では注連縄というほどの立派なものではなく、いわばヒモのようなものだったと考えられています。伊弉諾尊が捨てた杖というのも、2本の柱の原型でしょう。

これが技術や文化の発展に伴い、ヒモは注連縄に、そして2本の柱は鳥居になりました。

船戸神社の周辺に展開する春日大社の末社は、小さなお社だけの場所が多いですが、船戸神社は明らかに違いがあります。そう、鳥居があるのです。(※鳥居がある摂末社は船戸神社だけではありません)

当記事、最上部の船戸神社の写真を最後にもう一度、ご覧になるとともに、他の神社の様相についても確認してみてください。

 船戸神社に近い他の末社を見てみませんか?

 天神社

 愛宕神社

 浮雲神社


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船戸神社の御利益

船戸神社の御利益としては、結界そのものを表す神様が祀られているだけに、邪気の侵入を防ぎ、災いよけをしてくださる御利益があります。

このほかに、杖から生まれた神様ですので、旅行安全、交通安全の御利益も霊験あらたかと伝えられます。実際伊弉諾尊が黄泉国から無事、現世に帰還できたのは、しっかりと守ってくれた安全な杖があったため、とも言えるかもしれません。

旅行で奈良を訪れる方、また普段移動の多い方、小学生から学生さんなど、ぜひ参拝をしたい神社です。

船戸神社は水谷九社めぐりの第9番納札社

船戸神社は、春日大社末社の中でも水谷神社に近い9つのお社で行われている巡拝プログラム「水谷九社めぐり」の、第9番納札社に指定されています。9社めぐりですので、第9番で一番最後、まさに締め括りの神社です!

水谷九社めぐりで巡拝を終えると、特別な御朱印とお守りを授与していただくことができます。ぜひ9つのお社を巡り、神様とのご縁と御利益をいただいてください。

船戸神社の場所

画像は春日大社HPより

船戸神社は、水谷九社めぐりに指定された9つの神社の中では、最も南側に位置しています。(上の地図では、水谷神社方向が北側、船戸神社方向が南側です)

春日大社ご本殿から船戸神社までは、徒歩およそ3分で到着します。ご本殿から見てかなり近い場所に建っている末社であり、また春日大社国宝殿からは目と鼻の先ですので、通り道になる方も多いでしょう。ぜひ気に掛けていただき、ご参拝なさってくださいね。

船戸神社へ参拝できる時間

  • 参拝時間:24時間参拝可能
  • 定休日:なし(年中無休)

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