春日大社・水谷神社|水谷九社めぐり【第4番納札社】

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春日大社・水谷神社(春日大社 摂社)

読み方

みずやじんじゃ

建築年

不明

再建年

2019年(2019年4月現在、ご社殿の修理につき御遷座中です。)

建築様式(造り)

三間社流造り

ご祭神

  • 素戔嗚尊(スサノオノミコト)
  • 大己貴命(オオナムチノミコト)
  • 奇稲田媛命(クシナダヒメノミコト)

水谷神社の読み方

水谷神社は「みずやじんじゃ」と読みます。

別表記では「水屋社(みずやのやしろ)」とも書かれます。


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水谷神社とは?

水谷神社は、春日大社の61もある摂社、末社の中で、筆頭格の扱いとなっている摂社です。

春日大社の境内地の中でも、1に本社、2に若宮社、3番手が水谷神社であると言われます。

水谷神社が何年に創建されたのか、ということは詳細がわかっていません。

水谷神社に関する最も古い記録は、1133年(長承2年)の文献『長承注進状』に残されています。

この頃は、まだ神仏習合が盛んであったため、水谷神社のご祭神は牛頭天王(ごずてんのう)でした。そんなこともあり、江戸時代には「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とも呼ばれ、ひときわ厚い信仰が寄せられていたようです。

「牛頭天王」とは天照大御神の弟神「スサノオ」が変化した仏だとも云われ、現在の八坂神社(かつての祇園社)の御祭神でもあり、祇園祭の主祭神としても有名です。

一般的には疫病除けの神仏として崇められており、その本地仏は「薬師如来」とされています。

ご祭神が現在のように、素戔嗚尊、奇稲田媛命、大己貴命の3柱の神となったのは、明治時代の廃仏毀釈以降のことです。

水谷神社と水谷川

水谷神社の裏手には水谷川という川が流れています。

鎌倉、室町時代には、神様へのお供物としての水は水谷川から汲んだものである、とする記録があります。

また室町時代には水谷神社の裏手、水谷川の下流で、禊(みそぎ)が行われていた記録もあります。

水谷神社の御利益

水谷神社はそもそも牛頭天王信仰のお社です。

牛頭天王は、神仏習合において、素戔嗚尊と同一視されています。

有名なところでは八坂神社が牛頭天王を祭神として祀っています。

八坂神社のお祭りといえば、祇園祭。祇園祭は何の祭りか? と言えば、疫病鎮めのお祭りです。

したがって、牛頭天王信仰の背景には、必ず疫病を鎮めるための祈りがあります。

水谷神社の例祭は4月5日に行われ、「水谷神社鎮花祭(みずやじんじゃちんかさい)」と言います。

水谷神社鎮花祭は1288年に例祭として始まった疫病鎮めの祭りです。

実は、京都の八坂神社は656年の創建であるとされていますが、奈良の水谷神社は京都の八坂神社の本祀であるとも伝えられています。

つまり、京都の八坂神社の牛頭天王は、水谷神社から勧請されたものである――水谷神社のほうが八坂神社よりも古い、という説が濃厚だということです。

「夫婦和合」「安産」のご利益も満点!

そのほか、この水谷神社の境内には「陰石」と「水谷寄木(みずやのやどりぎ)」があることから、「安産」や「夫婦和合」のご利益があると古来、信仰されています。

「陰石」とは、男女のその・・なんと言いますか・・ねぇ。オホ

そのまぁ、つまり、”アレ”に似た形の石のことです。アレ、つまりぅぃ・・”陰部”ぅキャぁ〜

・・

・・

こホンっ!

「水谷寄り木」

「水谷寄り木」とは、木が抱き合うような格好しているという意味合いがあり、事実、水谷神社の境内には「イブキという木」が「杉(すぎ)」を包み込むようにして立っています。

⬆️通称「水谷寄り木」

幹の幅も直径1メートルは優に超えます。長さも10メートル以上ある木です。

陰石

なお、陰石は別名で「子授け石」と呼ばれているようです。子授け石については後述しています。

謎の磐座!春日大社創建の頃から存在していた可能性も

「磐座(いわくら)」とは、古代の日本において、神の依代(よりしろ)の役割を果たした岩のことを言います。

古代の日本では、まだ神社や社殿といった概念がなく、自然物に神を宿して、それを信仰していました。

その自然物の代表格が岩です。

信仰対象となった岩を、磐座と呼びます。

水谷神社の御社殿の下には、今でも、古代信仰に使われた磐座を見ることができます。

社殿の下をのぞくと、このように磐座があるのが見えます。漆喰で塗り固めてある状態です。

このような幾何学的なものが古代からあったなんて信じられませんね……


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霊験あらたか!子授け石

水谷神社には、素戔嗚尊と一緒に、その妻である奇稲田媛命もお祀りされています。

この2柱の神様が祀られている神社では、恋愛成就や子宝祈願の霊験があらたかであると言われることが多いですが、とりわけ水谷神社では子授け石が有名です。

上の写真がそれで、場所は社殿の向かい側。

水谷神社の子授け石は、触る……のではなく、綺麗な布で拭き清めると御利益があると言われていますので、子宝祈願の方はぜひ、新しい布巾などをお持ちになると良いでしょう。

ところで、この子授け石、見ていると何か思い出しませんか……?

そう、女性の……あの、そのぅ……いやん

水谷神社は知る人ぞ知る、日本の古代性崇拝の残滓を感じさせてくれるスポットなのです。

水谷九社めぐりもおすすめ!

水谷九社めぐりは、春日大社摂社・末社の中でも、水谷神社の周辺にある9つの霊験あらたかな神社をめぐるものです。

水谷九社めぐりだけの特別な御朱印とお守りをいただけますので、ぜひめぐってみましょう。

水谷神社の例祭「鎮花祭」

上述したように、この水谷神社では毎年、4月5日になれば例祭「鎮花祭(ちんかさい/はなのしずめまつり)」が執り行われます。

この鎮花祭では、青豆を塩煮にしたものとお神酒が参拝者に振る舞われます。この青豆の塩煮やお神酒を一緒にいただくことで古来、疫病を退けるご利益を授かることができるとされています。

また、東側に見られる「芝舞台」では、春日大社の禰宜による神事能が披露され、この神事能は水谷神社の”水谷”をとって「水谷能(みずやのう)」とも呼ばれています。

⬆️水谷神社の芝舞台

この水谷能に関して、過去に大きな事件が発生しています。

なんでも1623年(元和9年)に執り行われた神事能の際、郡山藩士と祭礼の警護にあたった奈良奉行所の侍衆との間で、抜刀にての斬り合いが繰り広げられ、以降、一時的に神事能が取りやめにされています。

この事件以後、水谷能が継続されていたのかは不明ですが、1800年頃(江戸時代後期)には途絶えていたようです。

しかし、1957年(昭和32年)に150年ぶりにこの水谷能が装いあらたに「禰宜座狂言」という名前で復興されています。現在に至っては4月5日の鎮花祭の他、1月7日の御祈祷始式にも奉奏されています。

このように春日大社には同じ藤原氏ゆかりの寺院「興福寺」と共に、多種の能・狂言が伝わっていますが、これはひとえに禰宜たちが代々、伝承されてきた能・狂言を時の権力者たちに披露するなどして存続に努めてきたという過去があります。

現在、芝舞台には遥拝所が建てられている

この芝舞台は2019年現在、ご社殿の御修造のため、臨時の遥拝所が設けられています。行ってみれば分かりますが賽銭箱が設置されています。

社殿の修理が終わるまでの間は、芝舞台の遥拝所にて水谷大神を遥拝(ようはい)なさってください。

水谷神社の場所(地図)

水谷神社は、春日大社本殿を北側へ5分歩いた場所にあります。

春日大社の境内の中では最も北側にある摂社です。

水谷神社へ参拝できる時間

  • 参拝時間:24時間参拝可能
  • 定休日:なし(年中無休)

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